オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

借用ハローベストとの別れ

今朝はF氏の回診ではじまった。
今日からようやくベッド上で仰向けに寝た状態から上半身を15度くらい起こすことになった。

褥瘡も治り、食事は看護師がスプーンでよそい、私の口に運んでもらいながら食べていた。
消化が良さそうな、おかゆと魚をほぐした「猫まんま」みたいな、味が薄い、とても20代前半の食事とは思えない、悲しい献立が続いた。
内蔵、特に腸管の動きが良くないので仕方が無いのだろう。

午後またF氏がポータブルレントゲン機器と一緒に現れた。
例の如く首のレントゲンを撮る。もう何度目になるかな~。など思い出していた。

夕方になり、F氏とS助教授が現れレントゲンの写真を診ながら、首の骨が固まらず経過観察も3ヶ月になろうかとしているが、状況はあまりよろしくない。またハローベストの返却も迫っていることから
日本医科大学が所持しているハローベストみたいな代替装具に替える事を言われた。

翌日の夜、F氏が来て、明日の朝、装具を替えることが伝えられた。それまで水は口を湿らせる程度で絶食となった。

翌朝ストレッチャーで手術室に運ばれた。

ハローベストは、まさしくVネックセーターのベストのように胸部を石膏で固めたベストから、前側2本、後側2本の計4本の支柱を固定し頭のリングと締結し、首を固定してる構造だった。
(具体的形状は「ハローベスト」で検索していただければと思います)

まずハローベストの頭のリングが外され、次に頭が動かないよう砂嚢で固定された。
この状態から頭を丸刈りにし、更に看護師さんが器用にツルツルに剃っていった。
頭を剃った事が無いので、是非見たかったが叶わず・・・きっと僧侶みたいな感じだったに違いない。

次に、胸部に鎧みたいにガチガチに固められた石膏を裁断器(サンダーみたいな機器で歯の部分は回転せず振動で石膏を切る感じ)で切断していった。
徐々に胸が開放されて身軽になった気がする。
実際は皮膚の感覚がないからなにも感じないのであるが、外された石膏を見てそう思った。

3ヶ月ぶりにハローベストが外され、胸筋はすっかり無くなり、骸骨のように肋骨がむき出し、自分の躰とは思えなかった。情けない躰になっていた。

看護師さんが躰全体を綺麗にしたあと、頭に続き、体全体の毛を剃りに掛かった。見事なまでのツルツル状態に辱められた気分。
そんな感傷する間も無く、F氏が茶色の消毒液を首から胸、腰、陰部、太腿、膝辺りまで塗っていた。その後、数人で私の身体を捩るような姿勢にし腰椎麻酔注射をしていた。

小学6年の時、虫垂炎手術したとき以来の腰椎麻酔注射だった。

皮膚の感覚も痛みもなにも感じないのに麻酔なんて必要なのか?

10分位してから、いろいろな器具や工具が手術台の横に運ばれてきた。

50cm位の先が尖ったボルト2本、直径2cm位のステンレス鋼のリングが大(60cm)小(30cm)それぞれ1本、更に直径1cm位のステンレス鋼の支柱が4本、長さは80cm位だった。その支柱には、リングを固定するボルト、ナット類が数点付属していた。
最も驚いたのがピカピカの手回しドリル。
大工道具で使うチャククリックボールみたいなのが台に載せられていた。

あんな大工道具みたいな材料と工具で、どんな手術をするのか、これからなにがはじまるのか恐怖と不安でいっぱいだった。


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