オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

年1の憂鬱

企業は従業員への健康診断を年1で実施するのが義務付けされていたのであった。

私は誕生月の7月に受診するのであった。

社内の健康管理室に行くと私と同じ誕生月に受診する従業員で溢れかえっていたのであった。

その中で心電図や胸のレントゲン撮影で上半身裸になり列を成して順番を待つのであるが、その時必ず周りの視線が自分に向けられていることを察するのであった。

その訳は私の上半身にある頚髄損傷の手術の傷跡と頚髄損傷患者特有な筋肉の付き方や盛り上がり方が明らかに不自然であったからだ。

私の両手は健常者と違い筋肉の盛り上がり方や太さはまるでカエルの手のように薄ペラであった。

両腕の筋肉も歪で細く貧弱であった。
私はこれらを悟られないように夏でも長袖のYシャツを着ていたのであるが健診で全てを剥がされてしまうのであった。

健診時に初めて私を見る人はギョッとしながら二度見するのであった。

看護師さんでさえ目を見開くのが判るのであった。

それは頚髄損傷で上半身に6箇所残る手術痕のせいであったからだった。

左顎から鎖骨にかけて長さ15cm程の頚椎前方固定手術で首に切り開いた傷跡、頭部を固定するためのボルト2本を骨盤から背中に貫通させた時に出来た傷口4箇所、まだ有る前方固定手術で移植する腰骨を取り出すために切り開いた背中に残る長さ20cmの傷口など上半身に生々しく見えるのであった。

これらを初めて見るものにとってはギョッとなるのは当たり前であった。

その視線を毎年7月に味合うのであった。

いつも衣類を身にまとい普段は見ることが出来ない手術の傷跡、健康診断時に久しぶりに会う知人とさりげなく世間話をしていても、健診の順番が来てこの上半身を目にすると、大概の知人は会話を終えるのであった。

見てはいけないものを見てしまったかのように、である。

私は、いちいち説明するのも面倒くさかったのでそれからは互いに無言で健診をこなしていくだけであった。

私自身も健常者の男らしい上半身を見ると筋肉の発達に対し私のアンバランスで不格好で貧弱な肉体に若干の劣等感を否めなかったのである。

健康診断は身体に障害があることを改めて他人に知らしめるものであった。

年1の憂鬱であった。

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