オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

2019-01-01から1年間の記事一覧

管理職は孤独

日本に帰国後、私は新しい商品開発のプロジェクトに参加したのであった。この頃日本はバブル経済が崩壊し冷え切った経済状況の中、景気のいい話など周りでする者もいなく、日本中が寂れていく感じであった。そんな時代の私が35歳になった暮れに上司面談で告…

ハグ

支社長に呼ばれ、ソファーに腰掛け昨日のご苦労さん会の件で、小言を言われると思っていたのであったが・・・予想に反して意外な事を言われたのであった。支社長は、当社きっての米国通で皆に知られていたのであった。MITを卒業してからも米国で就職、結婚、…

帰国間近の出来事

帰国を2週間後に控えたときであった。現地の日本人スタッフ20名が一斉に帰任することから金曜日の午後に会社主催でお偉いさんも参加してのご苦労さん会が大会議室で行われたのであった。私も帰任者の1人として参加したのであった。帰任者には会社からの記念…

遠く異朝でのワダカマリ

夏休み明けは憂鬱から始まったのであった。 会社に行くと10日ほど前の仕事がたんまりと残っていったのであった。私には赴任が終了する1ヶ月の間に業務フローを確立しなければならなかったのであった。しかし米国での仕事はやりがいもあったが、どちらかとい…

キャンピングカーで気分転換の旅

異国の地で夏休みを10日間とりキャンピングカーを借りて同僚2人でカナダのナイヤガラの滝やトロントにドライブ旅行と洒落込んでみたのであった。同僚とどこに行くか当てもないことから「ナイヤガラの滝」が頭に浮かび目的地のひとつに決めたのであった。キャ…

苛立ち

赴任してから時間が過ぎると共にウエルカムパーティやスタッフとの飲み会などで現地のエンジニアやデザイナー、ディテイラー達との交流は深まっていたのであるが業務については当初予定したOut-putには、ほど遠いレベルであった。原因を一言で言うと各自がバ…

心憎きサプライズ

アメリカに赴任してから、私を育ててくれた家庭や家族の関わり方がアメリカの家庭と余りにも違うため驚愕するばかりであった。そんなあるオフの日にエンジニアリーダーのデニスが突然私のアパートにやって来て、「今日家に遊びに来ないか?」と誘われ特に予…

ヌーナーからフレックス勤務

ヌーナー問題も落ち着き、3ヶ月の研修を終え最終的に構築できた体勢は、エンジニア19名(20)、デザイナーは28名(30)、ディテイラーは37名(40)とそれぞれの業務分担で欠員していたのであった。括弧内数値は当初の目標人員数であったが、この体勢で私が日…

金曜日にヌーナーになる

「郷に入らば郷に従え」の如く、私は金曜日の午前中に「ヌーナー」達に声を掛けたのであった。今日は私も「ヌーナー」になると彼たちに宣言すると驚いた顔をしながら快諾してくれたのであった。勿論、「ヌーナー」達を改心させるための私流のやり方で、拠点…

バブル経済と郷に入れば郷に従え

新たな自活する場所を得て数年後、仕事も体調も順調に世の中はバブル経済のまっただ中であった。給与やボーナスも右肩上がりであったが、ものの値段も右肩上がりで高騰したのであった。日本中が狂ったように沸き立っていたのであった。特に不動産はどこもか…

思い描いた自活

半年の約束で元上司の戸建に同居することにしたが会社ではいい上司でも24時間年がら年中、傍に居ると、私の性格上窮屈で息苦しく、しまいにはストレスからか夜寝られなくなってしまったのであった。限界だ。もうこれ以上は無理だ。早くこの生活から抜けだそ…

私は精神異常・・・なのか?

元上司の戸建に同居生活を送る事になり、やはり気を使う事が多くなったのである。元上司は酒が飲めないので、私が毎週末金曜の仲間との「飲みにケーション」で帰りが遅くなると、身内を心配するかの如く、翌日の朝に一言言われるのであったのである。元上司…

変わる生息地域

オヤジ27歳の5月のGW中に寮から元上司宅へ引越をするのでった。東京23区から車で2時間ほど離れた首都圏であったが、まるっきり土地勘もなく、少し田舎の風景も散見される地域へと引っ越すのであった。職場の仲間たちがワンボックスカーのレンタカーを手配し…

不整脈で尿道結石を思い出す

誕生月に会社の健康診断を受診した時の事であったが、思いも寄らぬ不整脈で再検査となってしまったのである。復職後、毎年誕生月に会社の健康診断を受けていたが再検査は初めてであった。階段の上り下りに時々、脈が乱れるのは感じていたが、一時的なものだ…

会社移転で元上司宅に下宿する事に!

私が所属する研究開発部門が都内から首都圏に移転する事が決まったのである。前々から話は出ていたが、本格的な引越日程などが提示され、これを機に寮生活から賃貸住宅での暮らしに変えることを検討したのであった。土地勘も無く、休日に仲間と移転先の街の…

10分限界、ママチャリ通勤

スーツを着て、何時ものように駅に向かう清々しい朝であったのに、駅までの中程まで来たところで、お腹が痛くなり嫌な思いが頭をよぎるのであった。昨年も通勤途中のこの道でお腹が痛くなり駅にたどり着く前に漏らしてしまい、その後の処理をしながら惨めだ…

人と会社に恵まれて・・・頭が垂れる

スーツを新調して、気分良く会社に向かう清々しい朝であった。私は復職して、私が所属するグループも100名体勢と拡大していたのであった。私は中堅として、上司から告げられ会社の選抜試験を昨年から受講していたのであった。管理職に最低限必要とされる生産…

オードトワレットはaramis

頚髄損傷の躰を酷使しながら仕事と労働組合活動でで明け暮れた1年が過ぎたのであった。この頃の私の下半身の肉付きで右脚が異様に太くて逞しかったのであった。両腕は細く、右腕は前腕屈筋群が乏しく、腕の見てくれは情けないものであったため、年間を通して…

労働組合と私と・・・

復職して2~3年が過ぎたころは、障害が残る躰で、将来設計をどうしたものかと考えても自分に都合良くいくわけも無く、流され、刹那的に活きた時期でもあったのである。私が務める会社には労働組合があったのである。1部上場企業には、大概存在していたもので…

「〇〇につけるクスリはない」

復職して早いもので2年が過ぎていたのであった。この2年を振り返るとただ我武者羅に何かを取り戻そうと、リハビリ訓練や手描き図面や新たな仕事(CAD関連)を計画的に且つ効率的に取り組み、それなりの実績を残こし上司からも評価されていたのであった。躰に…

1982年頃の頚髄損傷の私は!

復職してから1年が過ぎていたのであった。この頃は、左足首の短下肢装具と右手で杖を突いて歩いていたので、右の体幹や右太腿の筋肉はかなり発達していたのであった。右太腿は周長60cmほどで中学時代にサッカーをやっていた頃と同じ太さであった。太腿の左右…

孤独を感じながら働く日々

60日間、勤務後の平日、休暇の土日関係なしに寸暇を惜しみ、ぶっ通しでマル秘扱いのマニュアルを全部描き写し、CAD操作のマイマニュアルを完成させたのであった。計画通りに描き終えた事を上司と先輩に報告し、お礼を言って、やり切った感と、これからがCAD…

なんか、しんどいな・・・

復職してから2~3ヶ月後に、転院してから半年ぶりに日本医科大学病院の整形外科外来を受診したのであった。寮から電車を乗り継ぎ、何とかたどり着いた感じではあったが、ひとりで行けたのであった。車窓から見える景色を見ながら、こんな日が来ることを入院…

復職してから「トイレ」 閲覧注意

※食事前(中)の方には、不快な内容ですのでご注意願います。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ここから始まります。頚髄損傷で復職してからなにが辛いかと言うと、突然の体調不良に対応できない事であった。体調不良で最も多いのが腹痛であった。…

活きてる感!!

マニュアルがマル秘扱いは、理解したが就業時間内では、記憶する量が限られてくる、そこで入院でもお世話になった上司に懇願したのだった。上司はあっさりと寮に持ち帰ることを許可してくれたのであった。 少し拍子抜けしたが、「課長の許可証」を発行してく…

同期入社不在のミッドキャリア

復職後の最初の土日は流石に疲れたのであった。両脚が筋肉痛で飛ばしすぎた感があったのである。寮から駅まで800m、会社の最寄り駅から500m、会社の正門から職場までが200mといずれも片道であるから少なく見積もっても月~金の5日間で15km+α歩いた事になる。…

復職初日 パート2

自席に座り、引き出しを開けると、タイムカプセルのような、懐かしい製図道具達や三角スケールが現れ、一気に海外赴任から含めると2年数ヶ月前に戻ったのであった。懐かしんでいると、私より1つ年下の先輩がコーヒーを淹れて持ってきて隣に座り、いろんな話…

復職初日 パート1

今日は復職の初日であった。今朝は余り熟睡出来ず目覚ましが鳴る前に起きて、暫く茫然としていたのであった。ようやく立ち上がりコーヒーを淹れて、外界の景色を見て「やっとたどり着いた」と思ったのであった。今日のために買揃えた戦闘スーツ、シャツ、ネ…

退院から入寮そして訓練

退院までの2週間スケジュール表の最終日にチェックを入れたのであった。退院当日の朝を迎え、今日で最後であることを実感したのであった。昨日までに、お世話になった方々へお礼の挨拶は終えて、私物も纏めいつでも準備万端の状態であったのである。ベッドの…

THE 復職診断

復職診断の当日の朝、私は緊張と憂鬱に包まれていたのであった。10時に上司が迎えに来てくれる事になっていた。朝食を終え、2時間後に会社へ行くが、早く診断を受けたい気持ちもあったが、もし復職NGの場合は、そのまま退職手続きに移行するのでかなり不安な…