オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

復職初日 パート2

自席に座り、引き出しを開けると、タイムカプセルのような、懐かしい製図道具達や三角スケールが現れ、一気に海外赴任から含めると2年数ヶ月前に戻ったのであった。

懐かしんでいると、私より1つ年下の先輩がコーヒーを淹れて持ってきて隣に座り、いろんな話をしたのであった。

8時45分位にお世話になった上司が肩を軽く叩き、微笑んで
「おはよう、やっと戻ってきたな~」と言われ、
「朝の朝礼で紹介するから」と言われたので昨夜考えた謝意の話す内容を思い浮かべたのであった。

9時になり、朝礼で300名程の部門全員が集合したのであった。

上司が司会を務め、部長がマイクを手にし開口一番「〇〇(私)さん、隣に来てくれる」と言うとフロアがザワついたのであった。

私は部長の隣に立ち、後方がザワザワしていたが・・・部長から私の怪我から入院、及び復職に至るまでの経過を掻い摘まんで話され、今日から復職する旨を告げたのであった。

私のことは1年数ヶ月前に怪我で休職する事を部門内に告知してあったが、先ほどコーヒーを淹れてくれた1つ年下の先輩の話では、頚髄損傷では復帰は無理じゃ無いのかとか、もっぱら噂されていたのであった。
その私が復職するので皆が驚いてザワついたのであった。

部長から私にマイクが渡され、私は杖を突いて全員の前に立ち、一度全員に目を配り深く頭を下げ、1年数ヶ月の休職やお見舞いなどを含め最大の謝意を伝え、最後に「復職後も脚に障害があることで、何かとご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします。」と話を閉めたのであった。

するとフロアの全員の方から拍手をしていただき、やっと戻れたという感情で目頭が熱くなったのであった。

この時の拍手は、私の人生で一番永く感じたのであった。

部門の朝礼後、課朝礼に移行し上司の管轄下の80名程が集合し、先ほどより少し砕けた感じで謝意を伝えたのであった。

その後、上司に連れられ関連部署へ挨拶に行き、4~5部署でも同じ事を聞かれ同じ事を話すの繰り返しで正直嫌になったのだった。

やっと自席に戻り荷物整理に追われたのであった。

午後は久しぶりに社員食堂に行き、上司や先輩や同僚とテーブルを囲んで食事をするが、プラスチックの箸では食べにくく、皆を待たせてしまったことに申し訳なく思ったのであった。

食後は自席の荷物整理や過去の資料などファイリングするなどしながら定時間までやり過ごすのであった。

定時間で帰宅準備をはじめると、上司が近づき「徐々に体を馴らせばいいから・・・」と気遣ってくれたのであった。

有難いと思ったのと、この上司は改めてナイスガイと思い、一生付いていこうと思ったのであった。

帰宅準備を終え、職場を出て正門の手前に従業員専用通路の脇にあるタイムカードを打刻し、守衛さんに「お先に失礼します」と挨拶し、徒歩で駅まで向かったのである。

駅に着くと朝とは違い、ホームまでかなり混雑していて杖を突いて歩いているが、ぶつかりそうになるし、軽くぶつかるし朝とは大違いであった。

寮の最寄り駅に着くと、人が少なく安堵したのだった。

駅前の街灯の下をぎこちなく歩き、やっと帰ってきたのであった。

部屋に入ると、買い揃えたオーバーコートや戦闘スーツを着込んだままベッドに崩れ落ちていたのであった。

暫くしてから着替え、寮の食堂で1人食事を摂り、風呂に入り、ベッドに潜り込んだのであった。


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