オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

同期入社不在のミッドキャリア

復職後の最初の土日は流石に疲れたのであった。

両脚が筋肉痛で飛ばしすぎた感があったのである。

寮から駅まで800m、会社の最寄り駅から500m、会社の正門から職場までが200mといずれも片道であるから少なく見積もっても月~金の5日間で15km+α歩いた事になる。

実際は20kmは歩いていたのだった。

翌週からは、少しタクシーに乗ったり、寮生の車に同乗させてもらったりしながら、疲労困憊の脚を休ませたのであった。

復職後の仕事は、手描き図面を描きながら、次世代の3次元設計開発ツールのCAD(キャド:Computer Aided Designの略)の実務適用に向けたオペレーション操作の習得とシステム構築支援を掛け持ちしていたのであった。

私が従事する部署は商品開発であったので仕事そのものがマル秘扱いとなっていたのであった。

従事している業務内容は他言無用の為、親族、他部署にも口外せぬよう徹底され、そのためワープロやマック等の記憶媒体(floppy disk)等の持ち出しも禁止されていたのであった。
出張で持ち出す場合は、「課長の許可証」が必要であったのである。

CADオペレーション習得に分厚い操作マニュアルはキングファイルA4版が6冊ありこれを熟知する必要があるが、マニュアルもマル秘扱いとなっているのであった。

マル秘扱いのマニュアルをマスターするにも手描き図面を終わらせた残りの勤務時間内で習得するしかなく、ざっと見積もっても半年と、とてつもない時間を要するのであった。
私の兼務ではあるがCADの実務適用が、半年の業務スパンでは余りにも長く、ざっくりしていたのでの
もっと短期間で操作をマスターする方法を思案したのであった。

私の場合、学業もそうであったが記憶するやり方は、一義的に書いて覚えるであった。
分厚いマニュアルをいち早く覚えるには、書き写しながら覚える方法しか無かったのである。

その為、マニュアルを寮に持ち帰り寸暇を惜しんで書き写すことを先輩に打診したが、あっさりNGとなったのであった。
その理由は、マニュアル自体がマル秘扱いの書類だから・・・役所みたいな回答だったのである。

私はミッドキャリアなので同期入社とかは居なかったが、実年齢では年下先輩が多く居て、それなりに仕事をこなしていたので、休職し復職したものの職場で最下位の立場であったことに、早く最下位のポジションから脱したかったのだ。

同期入社不在のミッドキャリアの戯言だったのである。


f:id:kemosaku:20190817205029j:plain