オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

高1の担任との出会い

16歳の夏に新聞配達で貯めたお金で憧れのナナハン、ホンダCB750ccを購入し嬉しさとこれで何処へでも行ける自由を手にした私は有頂天であった。

夏休みは朝早くからワインディングロードを走り回り誰とも連むことなく独り風を感じながら気ままで自由な時間を満喫し走り回っても帰宅すると宿題や勉学にも勤しみ高1の夏休みを終えたのであった。

2学期が始まり私は早々にバイク通学を申請した。

私が通う高校は自宅からは遠く県外であったので担任の矢田部先生に申請書を提出し程なくしてバイク通学が認められ証明シールをフェンダーに貼り意気揚々と通学していた。

ところが数週間後、突然職員室に呼び出されたのであった。

呼びだされた理由はなんだろうと職員室に向かう途中、バイクで交通違反などしたこともないのにと色々思い浮かべたが見当が付かなかったのである。

矢田部先生の席に行くとバイク通学の規定に違反しているとの事であった。

「なにが」という感じであった。

矢田部先生から言われたのは
「排気量がデカすぎる。校則では125cc以内に限るとのこと」

「そんな今更、生徒手帳に排気量の記載は無く申請用紙にも記載されておらず後出しジャンケンじゃないか」と主張したが受け入れてはもらえなかったのであった。

いくら話しても平行線であった。

私は渋々駐輪場に停めてあったバイクから証明シールを剥がし矢田部先生の席に返しにいくと

矢田部先生から「明日から私(矢田部)の家までバイクで来るか」と思いもよらぬ話をされたのであった。

はじめは意味が理解出来ずにいたが矢田部先生から「通学距離が長く交通機関も乗り換えなど不便な事を知っているし1度許可しておいて校則にも排気量制限を記載してない落ち度もあり、色々考えた末の事だ」と言われたのであった。

話を聞くと矢田部先生の自宅は学校まで徒歩5分でありながら車で通勤しているので「家の駐車場にバイクを停めスペースもあり皆には内緒だが通学するのはどうだ」と言うものであった。

私は二つ返事で「ハイ。有難うございます」と言ってバイクに跨がり帰宅したのであった。

明日からバイク通学が出来る喜びで交通量の少ない田舎道で時折スラロームしながら帰宅したのであった。


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