オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

頚髄損傷

風呂掃除と激痛と

やもめ暮らしの家の掃除は決して綺麗と言えたものではないことは自覚していた。母と同居し始め直ぐに綺麗な風呂に毎日入れるようにと親孝行の真似事の如くその日は朝から風呂場の隅々まで綺麗に掃除しようと意気込んでいたのであった。手始めに浴室の天井を…

母と同居する頚髄損傷の私

50歳を迎える頃に郷里の母がやっと仮同居することになり羽田まで車で迎えに行ったのであった。生活に必要な荷物は事前に宅急便で送っていたので全日空の職員に付き添われた母は手提げバッグをひとつ持ってゲートに現れたその容姿に目頭が熱くなった。こみ上…

遠い昔の記憶

中学生になりたての頃に街角で走り去っていくホンダCB750ccのバイクに一目惚れした。格好よかった。自宅近くのホンダSFバイク販売店に行ってカタログを貰って販売価格を知った私は人生初のアルバイトをし自力で購入資金を貯めたのであった。アルバイトは新聞…

期待外れのセカンドオピニオン

顔と腕以外に拡がった斑点の正体が判らないまま悶々とした空しい時間だけが過ぎたのであった。T大学病院で献身的に検査してもらったが斑点が出現した原因にはたどり着けなかったのであった。結果として処方されたのが斑点が痒いときに塗る軟膏と月に1度の経…

原因究明ならずセカンドオピニオンに期待

顔と腕以外に斑点が出現し原因究明の検査入院を1週間しあらゆる検査を実施したと担当医から言われたが検査結果に疑わしい数値は何もなく退院し暫くの間は皮膚科に通院するようにと指示がでたのであった。完治しなくともせめて原因だけでもと期待していたので…

不甲斐なさと惨めさと

母との同居生活の話が立ち消え暫くの間何事もなく時間だけが過ぎていった。管理職となり構成人員が150名と拡大する中、会社の健康診断で不整脈が出現していることからT大学病院の紹介状を受け取る羽目になったのであった。これまでも日常生活で不整脈の自覚…

辛い別れ

40代後半になると辛い別れがあった。 お世話になった叔母さんが立て続けに亡くなったのであった。母には2人の妹と2人の弟の計5人弟妹であった。母の双子の次女の静江叔母さんは脳梗塞で入院し母に看取られて亡くなり、49日も経たない内に3女の綾子叔母さ…

頚髄損傷でも家を買う

障害者手帳の3級を交付れたが交付されたからといって交付される前に思い描いていた後ろめたさや自分を卑下する感情はそれほど増幅することなかったのである。暫くしてから世の中はバブル経済の崩壊などの余波を受けて市場は冷え込んでいたが不動産関連は高値…

年1の憂鬱

企業は従業員への健康診断を年1で実施するのが義務付けされていたのであった。私は誕生月の7月に受診するのであった。社内の健康管理室に行くと私と同じ誕生月に受診する従業員で溢れかえっていたのであった。その中で心電図や胸のレントゲン撮影で上半身裸…

ストレスフリー

他部署で「鬱」から復職した彼を思うと私が20代前半に頚髄損傷で四肢麻痺となり絶望しかなく自分の異常思考をコントロールできなかった頃、救ってくれたのは会社の上司や同僚の思いやりが一番の支えであったと会社に復帰してからそう思えたのであった。復職…

部下の評価と責務

頚髄損傷の私が管理職になって部下の賃金や賞与、職級の査定をしたのであった。これまで評価されるばかりの立場から評価する立場になったのである。とは言っても課長の私も部長に評価されていたわけであるが管理職の仕事のひとつとして気の重い仕事であった…

管理職は孤独

日本に帰国後、私は新しい商品開発のプロジェクトに参加したのであった。この頃日本はバブル経済が崩壊し冷え切った経済状況の中、景気のいい話など周りでする者もいなく、日本中が寂れていく感じであった。そんな時代の私が35歳になった暮れに上司面談で告…

心憎きサプライズ

アメリカに赴任してから、私を育ててくれた家庭や家族の関わり方がアメリカの家庭と余りにも違うため驚愕するばかりであった。そんなあるオフの日にエンジニアリーダーのデニスが突然私のアパートにやって来て、「今日家に遊びに来ないか?」と誘われ特に予…

ヌーナーからフレックス勤務

ヌーナー問題も落ち着き、3ヶ月の研修を終え最終的に構築できた体勢は、エンジニア19名(20)、デザイナーは28名(30)、ディテイラーは37名(40)とそれぞれの業務分担で欠員していたのであった。括弧内数値は当初の目標人員数であったが、この体勢で私が日…

金曜日にヌーナーになる

「郷に入らば郷に従え」の如く、私は金曜日の午前中に「ヌーナー」達に声を掛けたのであった。今日は私も「ヌーナー」になると彼たちに宣言すると驚いた顔をしながら快諾してくれたのであった。勿論、「ヌーナー」達を改心させるための私流のやり方で、拠点…

バブル経済と郷に入れば郷に従え

新たな自活する場所を得て数年後、仕事も体調も順調に世の中はバブル経済のまっただ中であった。給与やボーナスも右肩上がりであったが、ものの値段も右肩上がりで高騰したのであった。日本中が狂ったように沸き立っていたのであった。特に不動産はどこもか…

思い描いた自活

半年の約束で元上司の戸建に同居することにしたが会社ではいい上司でも24時間年がら年中、傍に居ると、私の性格上窮屈で息苦しく、しまいにはストレスからか夜寝られなくなってしまったのであった。限界だ。もうこれ以上は無理だ。早くこの生活から抜けだそ…

私は精神異常・・・なのか?

元上司の戸建に同居生活を送る事になり、やはり気を使う事が多くなったのである。元上司は酒が飲めないので、私が毎週末金曜の仲間との「飲みにケーション」で帰りが遅くなると、身内を心配するかの如く、翌日の朝に一言言われるのであったのである。元上司…

変わる生息地域

オヤジ27歳の5月のGW中に寮から元上司宅へ引越をするのでった。東京23区から車で2時間ほど離れた首都圏であったが、まるっきり土地勘もなく、少し田舎の風景も散見される地域へと引っ越すのであった。職場の仲間たちがワンボックスカーのレンタカーを手配し…

不整脈で尿道結石を思い出す

誕生月に会社の健康診断を受診した時の事であったが、思いも寄らぬ不整脈で再検査となってしまったのである。復職後、毎年誕生月に会社の健康診断を受けていたが再検査は初めてであった。階段の上り下りに時々、脈が乱れるのは感じていたが、一時的なものだ…

会社移転で元上司宅に下宿する事に!

私が所属する研究開発部門が都内から首都圏に移転する事が決まったのである。前々から話は出ていたが、本格的な引越日程などが提示され、これを機に寮生活から賃貸住宅での暮らしに変えることを検討したのであった。土地勘も無く、休日に仲間と移転先の街の…

10分限界、ママチャリ通勤

スーツを着て、何時ものように駅に向かう清々しい朝であったのに、駅までの中程まで来たところで、お腹が痛くなり嫌な思いが頭をよぎるのであった。昨年も通勤途中のこの道でお腹が痛くなり駅にたどり着く前に漏らしてしまい、その後の処理をしながら惨めだ…

人と会社に恵まれて・・・頭が垂れる

スーツを新調して、気分良く会社に向かう清々しい朝であった。私は復職して、私が所属するグループも100名体勢と拡大していたのであった。私は中堅として、上司から告げられ会社の選抜試験を昨年から受講していたのであった。管理職に最低限必要とされる生産…

オードトワレットはaramis

頚髄損傷の躰を酷使しながら仕事と労働組合活動でで明け暮れた1年が過ぎたのであった。この頃の私の下半身の肉付きで右脚が異様に太くて逞しかったのであった。両腕は細く、右腕は前腕屈筋群が乏しく、腕の見てくれは情けないものであったため、年間を通して…

労働組合と私と・・・

復職して2~3年が過ぎたころは、障害が残る躰で、将来設計をどうしたものかと考えても自分に都合良くいくわけも無く、流され、刹那的に活きた時期でもあったのである。私が務める会社には労働組合があったのである。1部上場企業には、大概存在していたもので…

「〇〇につけるクスリはない」

復職して早いもので2年が過ぎていたのであった。この2年を振り返るとただ我武者羅に何かを取り戻そうと、リハビリ訓練や手描き図面や新たな仕事(CAD関連)を計画的に且つ効率的に取り組み、それなりの実績を残こし上司からも評価されていたのであった。躰に…

1982年頃の頚髄損傷の私は!

復職してから1年が過ぎていたのであった。この頃は、左足首の短下肢装具と右手で杖を突いて歩いていたので、右の体幹や右太腿の筋肉はかなり発達していたのであった。右太腿は周長60cmほどで中学時代にサッカーをやっていた頃と同じ太さであった。太腿の左右…

孤独を感じながら働く日々

60日間、勤務後の平日、休暇の土日関係なしに寸暇を惜しみ、ぶっ通しでマル秘扱いのマニュアルを全部描き写し、CAD操作のマイマニュアルを完成させたのであった。計画通りに描き終えた事を上司と先輩に報告し、お礼を言って、やり切った感と、これからがCAD…

なんか、しんどいな・・・

復職してから2~3ヶ月後に、転院してから半年ぶりに日本医科大学病院の整形外科外来を受診したのであった。寮から電車を乗り継ぎ、何とかたどり着いた感じではあったが、ひとりで行けたのであった。車窓から見える景色を見ながら、こんな日が来ることを入院…

復職してから「トイレ」 閲覧注意

※食事前(中)の方には、不快な内容ですのでご注意願います。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ここから始まります。頚髄損傷で復職してからなにが辛いかと言うと、突然の体調不良に対応できない事であった。体調不良で最も多いのが腹痛であった。…