オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

不甲斐なさと惨めさと

母との同居生活の話が立ち消え暫くの間何事もなく時間だけが過ぎていった。

管理職となり構成人員が150名と拡大する中、会社の健康診断で不整脈が出現していることからT大学病院の紹介状を受け取る羽目になったのであった。

これまでも日常生活で不整脈の自覚症状や健康診断で不整脈を指摘され経過観察程度だったものから紹介状を出されるとは思いもよらなかったのである。

しかしこの頃私の体内で異変が起こっていたのであった。

それは腰のあたりに痒みが出て丁度蚊に刺されたあとのように皮膚が盛り上がり暫くすると痒みは治まる。

数日後、別の場所が痒くなり同じような症状が繰り返し出ていたのであった。

鏡越しに腰の痒いところを観ると数日前に痒かったところがドス黒い血豆色の斑点となりその数も日を重ねる毎に増えていったのであった。

これはただ事ではないと不整脈と併せて人間ドックを予約したのであった。

予約はしたものの体内で何か異常が起きている。

臓器の機能不全の現れか、とてつもない不安がこみ上げてきたのであった。

人間ドックを受診する頃には痒くなる範囲が拡がり痒みが治まったあとのドス黒い斑点の数が更に増えていったのであった。

斑点は顔と腕には出現することはなくシャツやズボンで隠すことが出来たので日常生活では周りには気付かれる事なかったのが唯一の救いであった。

しかし大浴場やプール等裸になると胸や腹部、背中、臀部、両脚とほぼ全身に斑点に覆われていたので姿見に映る鏡の中の姿は自分でもおぞましく憂鬱になるのであった。

1泊2日の予定で人間ドックを受診したが不整脈は経過観察となり予想通りの結果であったがどす黒い血豆色の斑点の原因は判らず血液、レントゲン、MRI、生検とあらゆる事を推察し検査を行ったが異常値は見つからず原因不明で担当医からはこのような症例は初めてとの事からもう少し検査を継続するとの事からそのまま検査入院を1週間延長することになったのであった。

私はベッドに横たわり20代前半の青春真っ只中に頚髄損傷で約2年間の入院生活を送り退院後は障害が残る身体で活動量も制限された中、紆余曲折を繰り返し40代後半まで自活しなんとか乗り越えてきた矢先に医者も判らない、原因不明の異常な症状だけが出現している事に自分の人生の不甲斐なさと惨めさが私を支配していたのであった。



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