オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

不格好な躰

入院生活14ヶ月目。
朝目覚めてから21時の消灯までの大半を、自主トレのリハビリが占めていた。

両手の動きが期待通りにならずグーパーは出来るが、握力が付かず、右10kg、左2kgであった。

指先の細かい動きも困難でボタンがけや針に糸を通す事や、箸で麺を挟むとか、煮豆をつまむというのも出来なかった。

利き手で何とか文字を書けるようになったが、以前の書体と違い下手くそな文字しか書けないことに、指の繊細な動きは取り戻せないと感じる日々で、いくらリハビリを増やしても肉が付かない状態であった。

しかし、この頃はひとりでベッドから車椅子への移乗が出来るようになり、車椅子を自力で操作し、短い距離の移動が出来るようにもなっていたのである。

ひとりで移乗、移動が出来ることから、障害者トイレに誰の手助けも無く自分のタイミングで行けるようになることで、気持ちが楽になったように思えたのだった。

ベッドサイドに専用の車椅子を横付していた。
好きなときに移乗し、日々移動できる距離を少しずつ伸ばしながら院内の散策をすることが楽しく、両腕や胸筋など筋力を付けていた。

今までベッドの上だけの自主トレだったので、同じ事の繰り返しでは、徐々に飽きて効率も良くなく、自分に科した自主トレを消化しない時もある時期だった。

結果を求めるには、同じ事を繰り返すことも必要で有るが、アプローチを変えたり、場所を変えたり
することで効率が上がる事を体感していた。

躰が動く(動かせる)事で食欲も増し、自主トレの運動量も増やしたことからボヨンボヨンのお腹は少し割れてきていた。

平行棒の掴まり立ちから平行棒の間を往復する歩行訓練も日を追う毎に右脚はスムーズに出せるようになっていたが、左脚は膝が上がらず、足首も垂れたままなので、びっこをしながら歩き、いかにも脚に障害があることが判る歩行となっていた。

片脚立ちでは、右脚は膝が30度曲げても戻すことは出来たが、左脚は2~3度曲げて戻すのがやっとだった。
これだけ訓練をしていたから、必然的に麻痺の少ない右脚は、サッカー選手並みの筋肉の付き方であった。

頚損の躰は機能を取り戻した部位は異常と思えるほど筋肉隆々とするが、機能回復が乏しい部位は筋肉そのものものが消失してしまい、不格好な躰でだった。
鏡に映る裸体を見ると未完成の彫刻像であった。



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