オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

自主トレ・はじめる・頚損患者

私が頚髄損傷となり丸一年が経過したころベッドから車椅子に独りで移乗することが出来ず、院内移動も看護師さんに押してもらう状況で自力で車椅子を操り移動することの出来る患者さんを羨ましく思った時期であった。

M氏が施術を行うリハビリは日曜日を除き毎日14時からミッチリ筋トレや電子機器を使ったメニューを行っていた。

M氏が1時間施術を行い、その後フロアマットの片隅で自分でできる、ストレッチや筋トレもどきを行ってもいた。

リハビリが終わると額と脇、首回り、胸の一部分、肩周り、お尻付近にかなり汗をかいていた。
因みに両脚から汗はかかず、皮膚はいつもカサカサであった。(頚損症状のひとつ)

リハビリ室から病室に戻ると16時30分頃になっていて、看護師さんの手を借りて着替える。というのがルーティンとなっていた。

躰は常時、痛み痺れは出現していたが耐えるしかなく酷いときは痛み止めの薬を飲んでいたが、気休めでしかなかった。

躰の麻痺はかなり改善され、特に尿意や便意を感じることが出来るようになった。
ただ尿意を感じて、すぐに排尿が出来なく10秒~30秒ほどしないと出ない感じであった。
また、我慢しすぎると、どういう訳か出そうで出ない。暫く時間をおいてから再トライアルして、ようやく出るという感じでもあった。
排便は便秘ぎみであったが、薬で軟便にし2~3日置きに自力で出すことが出来た。

四肢の回復は左腕は手首、肘、肩は思うように動かせたが、全般的に力が弱く握力は1kg、肘の曲げ伸ばしは仰向けに寝ても出来たが、手首に500gの重りを付けると殆ど動かせない状態であった。

右腕の手首は思うように動かせたが、肘の曲げ伸ばしで伸ばす方が出来ず、握力は5kgと左の握力の5倍あったが、パーが出来ないので日常動作に支障があり苦労した。

脚については、左脚は足首(つま先)を上げたり下げたりすることが出来ず、膝、股関節は、かなり力まないと動かせず、動く範囲もほんの少しであった。また、脚力も弱かった。

右脚は股関節、膝、足首を思うように動かせたが、温度覚がまるっきりなく、痛覚もほとんどない状態であったが脚力は左脚に比べ3倍くらい(M氏曰く)あった。

体幹は座位の姿勢で前後左右の僅かな範囲でしか保持出来ず前後左右から軽く押されただけで支えきれず倒れていた。

この様な状態で残された時間は6ヶ月しかなく。
休職期間が終わってしまうので、復職できる躰に出来ないものか思案し、理学療法士のM氏のアドバイスをいただき、病室で行う自主トレーニングを実践していた。

ベッドを起こし座位の姿勢で出来る自主トレは、
・両手に丸いスポンジボールを握りグーパーを
 10回繰り返し行う。
・ベッドに縛り付けたゴムバンドを手首に掛け、
 できる限りゆっくりと胸元まで左右交互に
 5回づつ引っ張る。
・左右の脚を交互に股関節、膝、足首を順に
 曲げ伸ばしを5回繰り返す。
体幹を両腕で支えながら前後左右に10度位
 ゆっくりと傾け元に戻すを前後左右5回繰り
 返す。
・両肩を同時に持ち上げ降ろす、前後に動かす
 万歳する格好をしながら両腕を水平、真上で
 10秒ほど止めるを5回繰り返す。
を1セットとし、疲れたら休んで、また繰り返すを愚直に実践していた時期であった。

自主トレを始めた頃は、午前2回、午後3回位やってかなり疲れていたが、「復職する」という目標に向かって、ひたすら自主トレに明け暮れていた。

f:id:kemosaku:20190608184852j:plain