オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

8,760時間目の葛藤

8月に入り、入院してから1年が過ぎた。

23歳で頚髄損傷という人生を破壊してしまう怪我をしてしまい、人生の礎を構築するのに、とても大切な時期を病院のベッドで過ごすことになるとは想定外という程度の言葉では片付けられなかった。

この先どんな人生を歩んでいくことになるのか判らないが、今は徐々に回復しつつある躰でリハビリを一生懸命やって早く社会復帰を目指すしかなかった。

なんて頭で判っていても、リハビリのモチベーションは、だだ下がりでやる気が出ない日が多かった。というのも、この頃は怪我する前の躰で走り回っている夢を見ることが多く、最悪なのは走っている最中に目覚めることであった。
そうすると、ものすごく半端ない虚しさに支配されて夢と現実のギャップに打ちのめされて立ち直るのに時間が必要だったからである。
と、同時にもう一人の弱い自分が現れ「どうせ元の躰には戻れない」とささやき、無気力で刹那的な入院生活を送るようになってしまい、体調不良といってはリハビリを休んだりして、将来のビジョンなど1ミリも創造することすら出来なかった。

時には、担当医のF氏に今後、躰はどうなるのか、自立歩行出来るのか、自活できるのか、働くことは・・・矢継ぎ早に無理難題の質問をするがどれも答えを導くことは出来なかったのである。

なるようにしかならないのだから、焦っても仕方がないと自分に言い聞かせても、私の休職期間は、残り6ヶ月と迫っていた。

焦らずにはいられなかった。

23歳で怪我してから、この1年間は脅威の経験ばかりだった。
首の牽引からはじまり、ハローベスト装着2回、前方固定手術、コルセット装着、リハビリの施術とその都度、最適解の処置をしていただいていたが、
人生60年と見積もって、残り36年の人生にどのような未知の経験をするのかなんて、誰にも予想することは不可能であった。

であれば、あと半年で、なにが出来るのか?と舵を切るしかなかった。その方が現実的でもあった。

それでも不安先行で仕方がなかったが、行動を起こさなければ机上の空論で前に進まないということは、充分理解していた。しかし、闇雲に前に進むことも出来なかった。

なにもせず現状の姿(躰)では会社に復職なんて出来るわけもなく、どうすれば効率かつ効果的に現状打破出来るか、頭に描きながらその術をシミュレーションしていくしかなかった。

この様な苦境になるとDr.ノウィッキーが帰国の際に「希望を持て」と残してくれた言葉が浮かんではくるが、すぐに消えたりもした。しかし今回は切羽詰まった時期もあってか私を後押してくれた感があり、ここで諦める訳にはいかない、メラメラしたものが込み上げてきたのであった。

いろいろ思案して、残り半年のマイルストーンを策定し、F氏、M氏の普段の会話で得られた助言を織り込んだアクションプランや課題ばらしを密かに作りトライ&エラーを繰り返しながら日々を過ごしていった。

この時の心情は、残り6ヶ月のケツカッチン状態だが、自分が納得出来る形で能動的な入院生活に切り替えて行かなければ、という思いと弱い自分と訣別しなければという思いで一杯であった。


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