母との暮らしに思い出すバイク
私が50歳を迎える頃に郷里の母が私の家で仮住まいとして同居することになった。
母には理由を聞かず好きなだけこの家で暮らして良いんだからねと伝えて2週間後に羽田空港まで迎えに行く事を伝えたのであった。
そう伝えた後、母の気持ちを思いやった。
母の2人の妹が立て続けに亡くなり、気丈に振る舞っていた母であったが近くに暮らす実の娘とは益々そりが合わず日々の暮らしに寂しさがこみ上げ気の合う私と少しの間暮らす事を決断したのであろう。と推察したのであった。
母とは子供の頃から親子と言うより一種独特な友達というか仲間というか、私が中学生位からそんな感情を覚えたのであった。
極めつけは私が高校生になって直ぐのことであった。
私は子供の頃からバイクや自動車に興味があり16歳でバイクの免許が取得出来ることを知り、中学生になるとバイクを買うために初めて新聞配達のバイトを皆勤賞で3年間休まずしたのであった。
高校に入学し7月で16歳になった翌日には試験会場に行き自動二輪の受験をした。
学科は一発合格したが実技は一旦停止動作が曖昧で不合格となり、7月下旬から始まる夏休み初日に再受験を受け見事合格し免許を所持したのであった。
なんかものすごく嬉しかった。
人生最大の慶びを感じたのであった。
翌朝にはボロボロになったCB750のカタログと新聞配達で稼いだバイト代が入った巾着袋を持って自宅近くのホンダバイクの代理店に駆け込んだのであった。
新車価格40万円ほどであったが任意保険や税金など含めて支払ったが巾着袋に残ったのは2千円ほどであった。
50歳代のバイク屋の社長が私のことを覚えていてくれた事も有り店に飾ってあったヘルメットとグローブをどれでも良いからサービスすると言ってくれたのでショーエイの白色のフルフェースと銘柄は忘れたが本革のグローブをのオマケしてもらった。
納車は配達してもらわず1週間後に販売店に出向いて行ったのである。
16歳の暑い夏であった。
しかし楽しい時間はそれほど長くはなかった。