オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

ぎこちない歩行で転院話

入院16ヶ月後半。リハビリの施術だけで他にこれと言って治療をしていた訳ではなかったので転院話が出はじめた頃であった。このまま退院しても実生活が出来るか不安で、社会復帰するための日常動作訓練を兼ねたリハビリ訓練が出来る(出来そうな)病院に転院…

あ・せ・る

入院生活16ヶ月に入った頃、左脚の筋力トレーニングは掴まり立ちして、つま先立ちやウエイトを付けて太腿の持ち上げ、スクワットなど理学療法士のM氏の指導のもと取り組んだのである。だが、左脚の筋力や筋肉にあまり変化は無く、左右の筋肉の付き方はアンバ…

残り3ヶ月の葛藤

入院から15ヶ月。 この頃、私は上半身にコルセット、左脚にはシューホーンブレイス(短下肢装具)を装着していたが、いずれもジャージーの下に装着していたので、立ってる姿は、普通に歩くことが出来る患者にしか見えなかった。車椅子から歩行器でリハビリ室…

頚損で1年以上の辛い入院生活

14~15ヶ月の入院生活は黙々とリハをこなす感じであった。この頃のスケジュール 6:30~検温、排尿排便回数、心拍数、トピック等 8:00~8:30 朝食 9:00~ 9:30 ベッドでストレッチ 9:30~回診(月、木の2回/週) 10:00~11:30 自主トレ (体幹や四肢に負荷を…

羽ばたけるのか?

車椅子で病室からリハビリ室まで自力で移動できるようになった頃から、コルセットを装着し歩行器を使い、リハビリ室内と屋外の平坦な場所で歩行するリハビリが始まった。はじめた頃はM氏が、見守りで付き添い5分歩いて30秒ほど立ったまま休むを1セットとし3…

不格好な躰

入院生活14ヶ月目。 朝目覚めてから21時の消灯までの大半を、自主トレのリハビリが占めていた。両手の動きが期待通りにならずグーパーは出来るが、握力が付かず、右10kg、左2kgであった。指先の細かい動きも困難でボタンがけや針に糸を通す事や、箸で麺を挟…

引越とマイルストーンの移行

頚損患者のK氏が転院してから、私がこの病室で最長患者になってしまった。これまで最長患者だったK氏は、昨日熱海方面のリハビリ専門の病院に転院したのだった。今後、彼と二度と会うことも無いだろうが、どうか穏やかで豊かな人生を育んで欲しいと願った。 …

祝・人生初!!マグマ大使

自主トレを始めてから1ヶ月が過ぎた頃には、理学療法士のM氏が従来の自主トレメニューに新たなメニューを加え、日を追う毎に躰が回復していった。また、その早さに喜びを感じていたのであった。リハビリ室でもM氏が介助しながら車椅子から平行棒の間で立ち上…

ブレイクタイム:令和で活きる頚髄損傷患者63歳の近況(1)

このブログ回想録は、長編となりますので、ここらで一服タイムということで近況を記述します。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 〈ここから読まれる方へ〉 このブログは、プロフィールにあるように別ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に…

自主トレ・はじめる・頚損患者

私が頚髄損傷となり丸一年が経過したころベッドから車椅子に独りで移乗することが出来ず、院内移動も看護師さんに押してもらう状況で自力で車椅子を操り移動することの出来る患者さんを羨ましく思った時期であった。M氏が施術を行うリハビリは日曜日を除き毎…

8,760時間目の葛藤

8月に入り、入院してから1年が過ぎた。23歳で頚髄損傷という人生を破壊してしまう怪我をしてしまい、人生の礎を構築するのに、とても大切な時期を病院のベッドで過ごすことになるとは想定外という程度の言葉では片付けられなかった。この先どんな人生を歩ん…

夢でサーカディアンリズムが狂う

24歳の夏。暑い夏。私は、新規プロジェクトに参画し東奔西走で走り回っていた。 会議に使う資料をワープロを駆使しながら作成していると、背中越しに私を呼ぶ声が聞こえてきた。振り向いても誰もいなかった。私がまたワープロに向かうと、また呼ばれた。忙し…

不幸中の幸い・・・と思う。

前方固定手術後から7ヶ月がたった頃、ポータブルレントゲン撮影やリハビリを施術するときはコルセットの装着はマストであったが、首を極端に動かさなければ、ベッド上だけはコルセットを装着しなくてもよいことになった。しかし、躰の痛み痺れは相変わらず出…