オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

ぎこちない歩行で転院話

入院16ヶ月後半。リハビリの施術だけで他にこれと言って治療をしていた訳ではなかったので転院話が出はじめた頃であった。

このまま退院しても実生活が出来るか不安で、社会復帰するための日常動作訓練を兼ねたリハビリ訓練が出来る(出来そうな)病院に転院できないか、会社の人事課や労働組合幹部、直属の上司と私で調整した結果、直属の上司K氏が転院先を探すことになった。

1部上場の俗に言う大企業でいろんなコネもあり私が勤務していた会社の近くに社会復帰するためのリハビリ専門病院を探してくれたのであった。

そこに来月転院することが決まったのである。

転院することが決まり主治医のF氏、理学療法士のM氏、整形外科の看護師さんやヘルパーさんに16ヶ月もの間、お世話になったことなど、お礼と感謝を伝えまわっていた。

※少し余談ですが、16ヶ月前に米国から日本医科大学病院に移送されたのも会社の産業医F医師の教え子が本病院の院長でその縁で移送され、優遇されていたのかもしれない。
私は運悪く大怪我をしたが、その後は会社や人の運に恵まれたのである。


退院まで残り2週間、依然として、左脚はぎこちない振り出しで歩行していた。
左脚の筋力をもう少し付けたい、自主トレは左脚を重点にやっていた。

この頃リハビリ室は松葉杖で歩行し、それ以外は歩行器を使用して歩行していたが左脚に付けていたシューホーンブレイスは足裏から膝まであり、プラスチックであったが少し重く感じていたので足首までの短いものに変え、軽くなった事で、左脚の振り出しが楽に出来るようになった。

ぎこちない振り出しは、完全に修正できなかったがこの時はやれることをやるしかなかった。

自主トレで歩行器を使い長い廊下に接する別病室の前を往復していたことから、顔なじみの患者さんから「おめでとう、頑張って下さい」等、声をかけていただき転院することを実感するのであった。



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