オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

海外出張

辛い別れ

40代後半になると辛い別れがあった。 お世話になった叔母さんが立て続けに亡くなったのであった。母には2人の妹と2人の弟の計5人弟妹であった。母の双子の次女の静江叔母さんは脳梗塞で入院し母に看取られて亡くなり、49日も経たない内に3女の綾子叔母さ…

管理職は孤独

日本に帰国後、私は新しい商品開発のプロジェクトに参加したのであった。この頃日本はバブル経済が崩壊し冷え切った経済状況の中、景気のいい話など周りでする者もいなく、日本中が寂れていく感じであった。そんな時代の私が35歳になった暮れに上司面談で告…

ハグ

支社長に呼ばれ、ソファーに腰掛け昨日のご苦労さん会の件で、小言を言われると思っていたのであったが・・・予想に反して意外な事を言われたのであった。支社長は、当社きっての米国通で皆に知られていたのであった。MITを卒業してからも米国で就職、結婚、…

帰国間近の出来事

帰国を2週間後に控えたときであった。現地の日本人スタッフ20名が一斉に帰任することから金曜日の午後に会社主催でお偉いさんも参加してのご苦労さん会が大会議室で行われたのであった。私も帰任者の1人として参加したのであった。帰任者には会社からの記念…

苛立ち

赴任してから時間が過ぎると共にウエルカムパーティやスタッフとの飲み会などで現地のエンジニアやデザイナー、ディテイラー達との交流は深まっていたのであるが業務については当初予定したOut-putには、ほど遠いレベルであった。原因を一言で言うと各自がバ…

心憎きサプライズ

アメリカに赴任してから、私を育ててくれた家庭や家族の関わり方がアメリカの家庭と余りにも違うため驚愕するばかりであった。そんなあるオフの日にエンジニアリーダーのデニスが突然私のアパートにやって来て、「今日家に遊びに来ないか?」と誘われ特に予…

ヌーナーからフレックス勤務

ヌーナー問題も落ち着き、3ヶ月の研修を終え最終的に構築できた体勢は、エンジニア19名(20)、デザイナーは28名(30)、ディテイラーは37名(40)とそれぞれの業務分担で欠員していたのであった。括弧内数値は当初の目標人員数であったが、この体勢で私が日…

金曜日にヌーナーになる

「郷に入らば郷に従え」の如く、私は金曜日の午前中に「ヌーナー」達に声を掛けたのであった。今日は私も「ヌーナー」になると彼たちに宣言すると驚いた顔をしながら快諾してくれたのであった。勿論、「ヌーナー」達を改心させるための私流のやり方で、拠点…

バブル経済と郷に入れば郷に従え

新たな自活する場所を得て数年後、仕事も体調も順調に世の中はバブル経済のまっただ中であった。給与やボーナスも右肩上がりであったが、ものの値段も右肩上がりで高騰したのであった。日本中が狂ったように沸き立っていたのであった。特に不動産はどこもか…