オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

ヌーナーからフレックス勤務

ヌーナー問題も落ち着き、3ヶ月の研修を終え最終的に構築できた体勢は、エンジニア19名(20)、デザイナーは28名(30)、ディテイラーは37名(40)とそれぞれの業務分担で欠員していたのであった。括弧内数値は当初の目標人員数であったが、この体勢で私が日本で担当している業務フローをこなすのであった。

当初は私が彼らのマネージメントをしていたが、流石に、マネジメントしきれないのであった。

そこで拠点長に相談し各職種毎にリーダーを配置する事にしたのであった。

そこで素性の良いエンジニア2名、デザイナー3名、ディテイラー4名にリーダー職を任命したのであった。

勿論、週給はそれなりにプラスしたのであった。
また、彼らのOUT-PUT次第で正規従業員として契約し直す旨を伝えたのであった。

暫くすると、各リーダーから業務時間について申し入れがあったのである。

始業時間を9時から6時に変更できないか?
理由は15時に帰宅し「子供達と過ごしたい」というものであった。

理由は兎も角、日本では考えられない申し出であった。

流石に、6時は無理と答え、せめて8時からと打診すると、折衷案で7時からとの要望が強く、そのことを拠点長に相談したのであった。

他の部署からも始業時間の早出しの声が多数上がっていたのであった。

彼らの申し出を聞いたとき、私の幼少期に比べ余りの違いに驚愕したのであった。

私の家庭は父、母、姉の4人家族であったが、父親は県庁に勤める公務員で帰宅後、食事などを済ませると書斎に籠もっていたため、私のスキンシップ相手は俗に言う専業主婦の母親だけであったのである。

当時どの家庭でも父親が働き母親が専業主婦と言うスタイルが一般的でアメリカのような共稼ぎの家庭は私の周りでは少なかったのであった。

それに比べアメリカの父親や家庭環境はとても素敵に思えたのであったと同時に私も将来家庭を持ったら・・・なんてことも思い描いたりもしたのであった。

彼らの申し出については人事部門がアメリカに進出している同業他社の実態や背景をリサーチをすると、アメリカの夫婦は共稼ぎが大半を占めていて、父親は幼い子供と夕刻からスキンシップをとるのが慣例となっていて、それを怠ると悪い父親として離婚訴訟まで発展することもあるらしく、リサーチした結果、フレックス勤務(始業時間は6時~コアタイム8時間)となったのであった。

彼らは喜んだが私は、またひとつ悩みが増えたのであった。

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