オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

研修所と化した我が家

3LDKの戸建を購入し1ヶ月経った頃の夜のことであった。

入浴中に湯船に浸かっていると激しい揺れを感じたのであった。

初めは湯船に浸かりすぎノボセたのかなと思ったが地震であった。

揺れは長かった。
風呂場にいても家中からきしむ音やビビり音が響きこのまま家が倒壊するのかと思うほど長く揺れるのであった。

揺れが収まり風呂から出た私は家の壁や柱などを見て回ったが異常がなく安堵したのであった。

自然災害の前では無力であるが心の何処かで自分だけは大丈夫だと言い聞かせてもいたのであった。

折角手に入れた家を災害で失ったら等としばらくは興奮状態で家を買ったのを少し後悔した自分がいたのであった。

その後は自然災害など無く平穏な日々を送り、隣近所との付き合いや顔見知りなども増えていったのであった。

私は帰宅後直ぐに2階に上がり寝室で部屋着に着替え就寝するまでリビングにいるので他の部屋には掃除以外立ち入ることは無かったのであった。

独身で戸建に住んでいることが隣近所に知れ渡ると
部屋が余ってしょうがないでしょう等と冷やかされることも多々あったのであった。

3LDKの間取り
早いとこ田舎の母と同居する事を実行しなければと母に連絡しそれとなく話すが母からは良い返事はもらえなかったのであった。

母曰く、田舎を出て見知らぬ地で暮らす不安と双子の妹の静江と離れて暮らすのは申し訳ない気持ちだと言うのであった。

母には弟妹5人いたが、静江を除きそれぞれ家を出て母の面倒は永い間、静江独りに診させてしまい昨年その母親が亡くなり、まだ日も浅く今は静江と離れて暮らすわけにはと言うものであった。

と言う事からもう少し時間を空けて様子を見ることにしたのであった。

そんなこんなで月日が経ち我が家に部下達がグループ研究と称して集まるようになったのであった。

きっかけは独身の私に部下が「結婚相手を連れて遊びに行きたい」との申し出に、勿論快諾したのであった。

一般的な上司であれば奥さんの手料理などで持てなすのだろうがなんせ独身の私は家庭臭さとは無縁であった。

せめて部屋の掃除と酒やお菓子等を買いそろえるのが関の山であったが、いずれにしても初めての客人を招き入れる準備をしたのであった。

それ以来何かあると研修所化していったのであった。

そのたびに布団や食器、コップなど一通り揃って増えていったのであった。

大概5~6名が来てはリビングのフローリングに車座にに座り何やら討議をはじめるが暫くすると一番下っ端の者が酒を買い出しに行き、いつの間にやら酒盛りがはじまるのであった。

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