オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

不整脈で尿道結石を思い出す

誕生月に会社の健康診断を受診した時の事であったが、思いも寄らぬ不整脈で再検査となってしまったのである。

復職後、毎年誕生月に会社の健康診断を受けていたが再検査は初めてであった。

階段の上り下りに時々、脈が乱れるのは感じていたが、一時的なものだろうと気にしたことなど無かったのである。

再検査は24時間携帯式(ホルター心電図検査)の小型の心電計をつけたまま、体を動かしている時や、寝ている時に心電図がどう変化するかをみる検査であった。

不整脈の数がどれくらいあるか、危険な不整脈はないか、症状との関係はどうか、狭心症は出ていないか、などがわかるというものであった。

結果については、脈がとぶように感じられる「期外収縮」であったが、医者曰く頚髄損傷が原因かも知れないとの事であった。

しかし程度は軽く薬もペースメーカー等の手術も無くただ見守るしかないとの事であった。

再検査の通知を受け取った時は動揺したが、余りにもアッサリと診断され拍子抜けしたが、以後不整脈を頻繁に感じるようになっていたのであった。

独身だけに、食生活は褒められたものではないと自覚はしていたが、頚髄損傷で不整脈と少しショックであった。

食事で思い出されるのが、私が20歳の時に尿道結石を経験したことであった。

あの時の激痛は二度とご免である。

苗場スキー場からの帰り道、独りで国道17号線を上り方面へと車を走らせていたときのことであった。

川沿いの真っ暗な道で対向車は少なく、いい調子で走っていたのであったが、右脇腹がシクシク痛くなり、時間の経過と共に脂汗をかく程の痛みとなったのであった。

初めて経験する激痛であった。

「何だ、この痛みは」痛みを堪えて、食あたりなのか判らず不安の中、痛みで痺れた右足でアクセル操作をしたが、とうとう堪えきれずに、山間部のドライブイン駐車場に車を停め様子を観るしかなかったのである。

「駄目だ、暫く休もう」とシートを倒し痛みが治まるのを待つしかなかったのであるが一向に治まらなかったのである。

車内で嗚咽をあげながら、痛みで脂汗をかきながらも、朝から口にした食べ物を思い浮かべるも、心当たりはなく内臓疾患かとも思ったが、虫垂炎は小学生で処置しているし、色々推考したが痛みの原因にたどり着けなかったのであった。

午前3時頃の出来事であった。

暫くしてから、痛みが治まらない状況であったが、ここにいても、どうすることも出来ないので兎に角、近くの街まで車を走らせ、病院に駆け込む事にしたのであった。

ところが近くに病院どころから、人家さえも無く、山間部の寂しい寒村で漆黒の闇の中を走るだけであった。

唯一数台のトラックとすれ違った事だけが人の営みを感じる瞬間であった。

走っている土地勘も無く痛みが増すと広い路肩に車を停めては、ハザードランプを点灯させシートを倒し、痛みが治まるのを待つのであった。

痛みが治まると、また車を走らせるのであった。

そうやって何度か繰り返し、やっとの思いで日野市の警察署が見えたので、躊躇せずに駐車場に滑り込ませたのであった。

警察署に入り、脇腹を押さえながらカウンターの向こう際にいた警察官に症状を伝え救急車を呼んでもらったのであった。

警官の対応良く5分もしない内に救急車のストレッチャーに載せられ、生まれて初めて救急車に乗車したのであった。

日野市立病院で診察をしていただき、すぐさま浣腸を仕掛けられたのであった。

浣腸は生まれて初めての経験であった。

痛みの度合いは変わらずであった。

浣腸後は排便を数回繰り返し、落ち着いたところでレントゲン撮影し、映ったものは直径3ミリ程度の石が右尿道にクッキリと映っていたのであった。

医者からも、痛みの原因は「これ、ですね」言われたのであった。

私はこの石はどうやって体外に出すのか検討も着かなかったのである。

医者からは「水分を多飲し、オシッコで尿道にある石を縄跳びなどで振動を与え膀胱に落とすことが出来れば、痛みは消える」と言われたのであった。
また、この大きさであればオシッコで出てくるとも言われたのであった。

実に原始的な方法であった。

それを言われるまでは、私は石を摘出手術するのかと思っていたので安心したのであった。

午前6時ごろから、水を飲みながら階段のダッシュで上り下りする事や縄跳びで尿道の石を膀胱に落とすことを医者に指示され愚直に言われたとおりの行動をしたのであった。

痛みを感じる中、尿意を感じたのでトイレに行き、茶こしをあてながら排尿し、目をこらすが出てこなかったのであった。

兎に角水を飲み、縄跳びをしながら気づくと痛みが消え、尿意を感じ再度茶こしをあてながら排尿すると石が出てきたのであった。

「やった~」出てきた。

その石を医者に見せると、「これですね」もう大丈夫でしょうと太鼓判を押してくれたのであった。


午前9時ごろであった。

医者からは「石はまた、できるので偏食を避けバランスの良い食事を摂るように」とも言われたのであった。

当時の私は肉や魚は好きで食べていたが野菜は余り摂取していなかったのである。

これ以降、「食事のバランスは大事」を第一義に食生活を考慮するのであった。

病院を後にしながら自宅に戻ってきたが、あらためて昨夜から今朝にかけて、いろんな事が一気に起こり、この程度で済んで本当に良かったと安堵するのとドラマみたいな展開に現実感を感じられない時間であったと思うのであった。

それにしても私の病(怪我)歴は
小学生6年生で虫垂炎で手術
中学生2年生で右手首骨折
22歳で頚髄損傷・・・である。何だかな~。


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