オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

復職してから「トイレ」 閲覧注意

※食事前(中)の方には、不快な内容ですのでご注意願います。

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ここから始まります。

頚髄損傷で復職してからなにが辛いかと言うと、突然の体調不良に対応できない事であった。

体調不良で最も多いのが腹痛であった。

便意を感じているときは、それなりに構えて対応できるが、突然の腹痛からの便意は待ったなしの時間との闘いである。

私の場合、肛門を強く閉める事が出来ないのがネックであった。

復職してから、朝食を食べトイレに行くことを習慣付けするなど気をつけていたのであったが、頚髄損傷の後遺症のひとつでもある、排便出来たり出来なかったりと、便秘と下痢を繰り返す日々であった。

長時間トイレに籠もり出ないと見切りを付け、出勤するが寮と駅の中間地点で急に便意が迫ってきくると、そりゃ~もう地獄の始まりである。

その場に立ち止まり、何とか便意の波が治まってくれることを願うしかなく、波が治まるとこのまま駅に行くか寮に戻るか迷うが、どちらにしてもこういう時に「トイレまで走れればな~」と悲しくなるのであった。

健常者だった頃も、同様の経験をしたことはあったが、肛門を強く閉めて、脂汗をかきながらもトイレに猛ダッシュで駆け込むことができたので、ギリギリセーフで難を回避することができたのであったが、頚髄損傷ではそうはいかない。
走れない、肛門を強く閉められない状況では、完全にアウトになる確率は高いのであった。
またアウトになると結果は悲惨な事になるのであった。

寮に戻るまでの道のりが長く、臭く往来する人がいない事を願いながら、寮母さんに了解を得て風呂場を使い後始末をし、会社に電話を入れ遅刻する旨を伝え、出社していく気持ちは、何とも挫折感に浸ってしまうのであった。

そんなことを2度も経験すると、何とか再発防止するために試行錯誤する1つに朝食を摂るとお腹が反応するので、そこでうまく排便出来れば良いが出来ないと不安のまま出社せざるを得なくなるので、朝食は会社で摂ることにしたのであった。

しかし、毎週月曜日の朝礼や午前中に打合せがある場合は、不安先行で朝食を摂らなくなっていたのであった。
打合せも突発で入る時もあるので結局、復職1ヶ月後位から、朝食は完全に摂らなくなったのであった。

私の職場では自席を離れる場合は、行き先表示板に行き先と帰職場時間を記入するルールが部長以下全員にあったのである。

排便の障害は、申し出ないと判ってもらえないのも辛いが、敢えて行き先が「トイレ」というのもあり、時間も読めなかったので、記入せずに職場離脱をしてしまい、戻りが遅いため行き先不明で大騒ぎになりかけたことがあったのであった。

それから私だけ「トイレ」と書くことになったのであった。
まっ!これも仕方ないか。


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