40代半ばの頃
頚髄損傷から20年が過ぎ、不自由な身体であったがそれなりの収入と住処を手中に収めていた私も世間で言う中年オヤジの年代であった。
月曜から金曜まで判子を付いたような暮らしぶりであった。
通勤は自家用車で8時に家を出て8時半には職場の机に到着する距離で渋滞もなければ人混みやラッシュアワー等無縁であった。
通勤は毎日違うスーツに合わせてワイシャツ、ネクタイ、靴下、ハンカチ、靴の組み合わせをパターン化していたので出勤時に何を着ていこうかと悩むことは一切無かった。
通勤着をパターン化すると楽であったが、服を着る高揚感は一切無かった。
こんな中年オヤジでも拘りはいくつかあったのであった。
それは匂いであった。
アラミスの臭いが好きであった。
私が担当する部課には、男女比率50:50ということもあり、会議や打ち合わせで近距離になることも多々あったことから私なりに気遣いをしたのであった。
臭いは大切なエチケットの1つであることを痛烈に感じた事があった。
それに気づかされたのはとある管理職の中年オヤジばかりでの会議であった。
私は少し遅れて会議室の扉を開けるとなんとも言えない鼻を突く不快な臭いで、なんだこの酷い臭いはと会議どころではなかったのであった。
俗に言う加齢臭の集合体であった。
これがオヤジ達の臭いか~と吐き気を伴ったのであった。
もしかして私も同じ臭いがしているのかとそれ以来
体臭を消すためにオードトワレやコロンを機会がある毎に手にしてやっとアラミスに落ち着いたのであった。
アラミスの香りには弊害もあった。
私はネクタイの裏にほんの少しアラミスを染みこませていたが、ほのかに香るアラミスの残り香で私の居所や後ろを通るだけで私ということが判ってしまうのであった。
ただアラミスを誰か判らないがもう一人愛用していて、立ち寄ることもない場所なのに課員から昨日何処何処に居たでしょう?と言われたりするのであった。
それがアフターファイブの街中の身に覚えがない如何わしい店だったりすると、はじめは事実無根と説明していたが、説明も必死になればなるほど弁解しているように思え説明も面倒くさくなったのであった。
アラミス=私という構図が出来た時期であった。