苛立ち
赴任してから時間が過ぎると共にウエルカムパーティやスタッフとの飲み会などで現地のエンジニアやデザイナー、ディテイラー達との交流は深まっていたのであるが業務については当初予定したOut-putには、ほど遠いレベルであった。
原因を一言で言うと各自がバラバラに仕事を進めていたのであった。
アメリカはマニュアル社会で一義的な作業であれば誰がやっても同等のOut-putに繋げられるのだが、我々が開発する商品は世の中に無い新商品を設計する事からマニュアル云々という世界ではないのであった。
その為エンジニアは各工程でその都度、関連部署と多角的な思考で目標スペックを実現するための調整が必至で且つ肝となるので判断は有識者や上司を入れたデザインレビューを行い思考の方向性が合致しているのか確認しながら形状を三角法で図面に起こし目標スペックをクリヤーするしかないのであった。
正にPDCA(Plan→Do→Check→Action)サイクルを回しながら結論を導き出すのであった。
そこにはマニュアルという世界ではなく、エンジニアリングの世界であった。
しかし彼らの業務フローを分析すると自部署と他部署のエンジニア~デザイナー~ディテイラー間の俗に言う報連相が皆無で、多角的な判断に乏しい根拠でトライアンドエラーを繰り返していることが原因であった。
彼らがこれまで経験した仕事のやり方を一旦破壊し当社の仕事の流し方をゼロから教えることになったのであった。
しかし彼らはプライドが高く、おいそれとは行かないのであった。
私は会社に入社してから年次を重ねる毎に幾つもの社内教育を受講したり課題解決に必要な手法を社外教育を受講するなどしながら自己研鑽してきたので問題解決する能力を身に付けることができたと自負していたのであった。
がしかし、事はすんなりとは進まなかったのであった。
彼らに日本式の業務フローを理解してもらう講義を企画しても参加しないのであった。
参加拒否の主な理由は
・参加しない理由は直接業務でないから・・・
・業務フロー通りにできないと決めつけて、講義を受けてもその通りにならないから・・・
・今更教育なんて、これまでのやり方で問題なかった、変える必要がないと・・・
私は愕然としたのであった。
全くであった。
彼らには、現状より上を目指す意気込みや、品質(Quality )納期(Delivery)コスト(Cost)に対すり意識の欠片も感じることが出来なかったのである。
私は、こんなもんかとドアを蹴散らし頭にきて帰宅したのであった。
日本の商品にはmade in JAPANが刻印され世界中の人々から信頼されていることを知る身からすれば、
エンジニアの端くれとして安全で便利で安い商品開発を常に探究するのが当たり前であると思っていたのであった。
苛立ちと共に彼らに対する尊敬が薄れて行くのであった。