オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

不幸中の幸い・・・と思う。

前方固定手術後から7ヶ月がたった頃、ポータブルレントゲン撮影やリハビリを施術するときはコルセットの装着はマストであったが、首を極端に動かさなければ、ベッド上だけはコルセットを装着しなくてもよいことになった。

しかし、躰の痛み痺れは相変わらず出現していて、痛覚、触覚、温度覚、位置覚の回復や拡がりは鈍化し、汗をかかない皮膚の表面はカサカサとなり、ベッドぼうきで掃くと細かい皮膚の粉が宙を舞っていたのであった。

それでも上肢、下肢の動きが日を追う毎に加速し回復していったのである。


怪我した直後・・・、麻痺した躰に直面した私は絶望の深い谷に突き落とされた。
帰国後は、日本の医者は、「回復しても車椅子生活までしか前例ない」と言い、更に「感染症などで長生きも出来ない」という見立てだった。
が、しかし怪我した当初から、米国のDr.ノウィッキーだけは、「杖などを使い自立歩行が出来る」との見立てであった。

私はDr.ノウィッキーの見立てを信じ、いや信じたかったので、愚直に昼夜寸暇を惜しみ鼓舞しながら、手足のグーパーやリハビリメニューを繰り返し行っていたのである。
それが功を奏したのではないかと思ったり、日本ではなく怪我した場所が米国であったことやその時の処置をしてくれた人のスキルなど巡り合わせがベストで、その他いろんな要因が良い方向で偶然に重なったからこそ、奇跡的な回復(途上)にあるのではないかと思うようになっていた。もう神がかり的としか思えなかった。

その頃、隣のK氏が「オレも米国で事故っていたら〇〇(私)さんのように回復してたのかな~」っと羨んでいた。

K氏は渋谷のど真ん中でバイクで事故り、その時、対応した救急隊員が四肢が動かない状況にもかかわらず頭部と体幹を一体として固定せずに病院へ搬送したから、、と恨み節炸裂であった。

にわかに信じがたいが・・・知識豊富な隊員が、そんなことをするのだろうか?と当時は思っていた。

日本よりも医療先進国と言われた米国で怪我したことが、不幸中の幸いだったのかも知れないと思うのであった。

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