オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

オムツでリハビリ施術

手術後5ヶ月過ぎ6ヶ月に入ろうかという時期に、私にもベッドのリハビリから院内にあるリハビリ室での本格的なリハビリが始まった。

私のリハビリは昼食後の14時から始まるが、ただすんなりベッドから車椅子で行けるのではなくいろいろ下準備が必要であった。

リハビリ室へ移動する30分前に、理学療法士のM氏と看護師さんが来てはカーテンを閉め、ベッドを平にしたあと、T字帯からオムツに替えるのであった。
今の令和の時代とは違い紙パンツなど無く、昔ながらの赤ちゃんがするサラシを巻いて水色のビニール製のオムツカバーをするのである。
尿意が鈍くお漏らししないようにとの配慮から、オムツでGOである。
23歳の私には、何とも滑稽な姿であった。

次にM氏と看護師さん2人がかりで、ジャージーのズボンを履かせるのであるが寝た状態なので最後のお尻に履かせるとき左向いてジャージーを引き上げ右向いてジャージーを引き上げ、やっと半分着替えが完了。

次に上半身であるが、寝かせたベッドを今度は80度まで起こし、コルセットの上から前開きの上着のジャージーを着せ、およそここまでに要する時間は10分程度であった。

まだある。
次は靴下、靴を履き、上半身と下半身を右に回転させながら両脚をベッドの横に持っていき座る格好にし、すかさずM氏と看護師さんが両脇を抱えるようにしながら傍にある車イスに座らせるのであった。見事な連携プレーであった。

健常者であれば、ものの1分もかからないであろう着替えが12~13分程度かかる。

車椅子に乗ると、バスタオルや替えのオシメを膝の上に載せ、M氏がリハビリ室まで押していくのであった。

リハビリ室に入ると2畳位の平らなベッドに私をM氏と若手の助手で持ちあげ移動させると、まずはM氏がいつもベッドで行うリハビリメニューを消化していった。

次は平らなベッドが電動で垂直まで起きる起立台に移動し躰をベルトで固定し、徐々に起こしていった。
(はじめた頃は、30度位で貧血し、ほんの数秒で水平に戻していた。貧血が治まるとまた、起立台を少し起こしては水平に戻すの繰り返し、きちんと起立出来たのは2~3日後の事であった。)

起立は3分間行い、その後水平に戻し3分間、これを3回繰り返す。これで血液の循環機能を改善するとのことであった。

起立台が終わると、再度2畳位の平らなベッドに私をM氏と若手の助手で持ちあげ移動させると、各関節や筋力トレーニングみたいな施術を行い40分程度で終了するのであった。

リハビリが終わると車椅子に載せられ病室に戻りベッドに仰向けに寝かされると、看護師さん達が着替えをさせながら清拭やオムツを取りT字帯を絞め、尿瓶をセット、ベッドを整えてもらい、私が「お疲れ様」と労いをかけるのがお決まりであった。

これが私のリハビリの一連の流れであった。

翌日も同じ事の繰り返しであったが、単調で少し物足りない退屈な入院生活であった。

隣のK氏とリハビリ室で会うこともあった。
それぞれがどんなリハビリを施術しているのか気になったが、大差なく新たな発見は無かった。

しかし、リハビリ室で施術を受けるようになってから、片脚や片腕をなくしてしまった入院患者や義足の通院患者が所狭しとリハビリを受けていたが、その多さに驚いた。

なかでも義足の患者さんで、ぱっと見、義足だとは気づかないほど歩ける姿を羨ましく観ているとM氏が、「彼女も最初は酷く落ち込んで泣いていたよ、でも今はふんぎりついたのかな」・・・って事を話してくれたのであった。

こんなに多くの人々が何らかの障害を持って活きていることを私は、まるっきり意識していなかったのである。
なぜ自分だけが・・・と思っていた愚かさと、世の中の人々は他人にはわからない何らかの痛みを持ちながら懸命に活きていることを痛感するのであった。

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