オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

昨日今日明日

バルーンカテーテルを抜き自力で排尿するようになって暫くは、尿意を感じないまま時間だけが過ぎていった。

意識して水分を取りながら尿意を感じる時を待っていた。

そして、遂に下腹部あたりに尿意と言うより膨満感を感じ、意識を集中した。

毛布をめくることが出来たので、目をこらしながら尿瓶の中を覗き込んでいた。

何か出るような出ないような。
ベッドの上で意識すると、変に緊張し出ない。
また、尿管をギュッと挟まれているかのようであった。

諦めて目を閉じ、リラックス、リラックスと自分に言い聞かせ、その時が来るまで待つしかなかった。

その後も水を飲み、益々膨満感に襲われ、その時が近いのかなと・・・

思いつつ2時間ほどして、その時がやっときた。
力んだ。下腹部に渾身の力を振り絞り、力んだ。
音が出た。おならが出た。臭かった。
カーテンを閉めていた事が、せめてもの救いであった。くさい臭いが拡散しないで済む。助かっ~た。
自意識が高い私には、耐えがたい粗相であった。

そこへ運悪く夕食が運ばれてきた。
看護師さんがカーテンを開け、なにも言わずに夕食をベッドテーブルに置くと「ウンチ出ました?」と、言いながら毛布をめくった。

私は、エッ!そっち!えっナニッ!て顔をして、知らん振り作戦をとったが・・・
隣のK氏が「オナラだよ」とカーテン越しに聞こえた。

やっぱり聞こえてたか~と思ったが、だんまりを決め、なにもなかったように体裁を整え一句詠んだ。

「秋深し、芋ふかし、オナラふかして、あ~っくさくさ」

看護師さん爆笑。K氏も爆笑。私も爆笑。

それからの私には自意識過剰と言う言葉は無くなった。

食後、再度の膨満感に襲われ、目を閉じ、怪我する前の排尿する感覚を思い出しながら力んだ。
すると尿瓶から溢れんばかりのオシッコがシュ~ット出てきた。次から次へと途切れなく出た。
溢れてしまう恐怖と戦いながら、ギリギリの所で止まってくれた。スッキリ感は余り感じなかった。

ただもっと残念なのは、最後のフィニッシュが出来ず垂れ流す感じであった。

次こそはと、心に決め水を飲むのであった。

昨日はバルーンカテーテル、今日は垂れ流し、明日こそはフィニッシュを決めようと、意気込む頚損患者であった。
日々前進の境地であった。

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