オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

頚髄損傷患者の名物親子

バルーンカテーテルを取り、自力で排尿する頃から隣のK氏と良く話すようになった。

お互い同じ頚髄損傷と言うこともあり、互いの躰の状況がどうなのか、なんとなく比較しながら、一喜一憂していた。

K氏は私とF氏の回診を聞いていたらしく、「排尿は自力になったんですね」と言われ、少し戸惑いながらも誇らしく思ったが・・・K氏は入院以来、バルーンカテーテル留置されており、K氏から「〇〇さん(私)の方が回復が早いですね、退院も早いんじゃないかな~」と、得意の医者まがいな診断話をしていた。

それはどうかな~。私は介助してもらわないと何も出来ないから、Kくんは独りで食事出来るし・・・
それを羨ましく思っていることを伝えた。

K氏の食事はベッドを80度くらい起こした状態で、
移動式ベッドテーブルに置かれた食事を独りで食べることが出来ていた。

K氏のスプーンとフォークは持ち手が丸く輪っかになっていた。
開かない左手にスプーン、親指だけ動く右手にはフォークをそれぞれの輪っかの中に4本の指を入れ、口や顎なども使い、馴れた感じでこじ入れて食べていた。

彼の両手は基本グーのままでグーパーが出来なかったが、かろうじて右手の親指だけを立てたり曲げたりすることが出来た。
親指を立てると、ちょうどグーサインみたいな形になる。

これが出来たことで、彼は食後に至福の時を過ごす事が出来ていた。
彼曰く「食事よりもタバコ大事」だそうである。
食後は決まってタバコを吸っていた。
現在では考えられないが、当時(40年前)は動けない患者は病室での喫煙を黙認されていた。

ベッドテーブルには、いつもタバコ、ライター、灰皿が鎮座していた。
テーブルに載せられたタバコの箱を両手で挟み、口元に運ぶと唇と舌で器用に一本咥える。
つぎにライターをタバコと同じように両手で挟み、かろうじて動く右手の親指と人差しに挟み左手の小指球(小指の付け根から手首にかけての膨らんだだ所)でライターのヤスリを回し器用に火を付けて口元のタバコに火を付けていた。

彼の左手の小指の付け根あたりが、いつも赤く爛れていたのは、ライターの火で火傷した跡であった。

見るからに痛そうであったが、痛くないのか聞くと「全然。まるっきり感じないし」・・・らしい。

右手の親指と人差し指でタバコを挟み、実に美味そうに吸っていた。

時折、灰が布団の上に落ちたりしてヒヤヒヤしたことも、以前燃やしたこともあったみたいな事を笑いながら悪びれることなく話していた。

K氏には毎日、母親が来ては、洗濯や身の回りの世話など、こまめに動いていた。
時々、その細やかな介助にK氏が嫌気がさして母親と、口喧嘩がはじまり、きつめの「お前が悪い」、「テメエが悪い」の口調で言い争っている名物親子であった。初めて聞くとドン引きしてしまう感じであった。

だが、そのやり取りは漫才のようでもあった。
聞かないようにしても聞こえてくるから仕方ないが、その口調がおかしくて苦笑いなどしようものなら、とばっちりが飛んできて、「どっちが悪いと思う〇〇さん(私)」なんて時折巻き込まれ、どちらの味方も出来なく返答に困る場面も多々あった。

そうかと思えば、「母ちゃん来ないと寂しいよ」「あんたがそんなことは言うから母ちゃん泣けてくるよ」なんて名物親子の会話が病室全体に拡がり、みんなで笑ったりして、K氏親子は病室のムードメーカーであった。

K氏がリハビリに行っている時、母親からK氏が親孝行息子であったことを涙ながらに聞かされ、ただのやんちゃ坊主かと思っていた私も目頭を熱くしながら聴いていた。

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