オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

お願いだから奇跡よおこれ!!

入院患者同士で新しく入院してきた患者を見て医者まがいな話(診断)をする患者がいるが、隣のベッドのK氏や私の正面のS氏が正にそうであった。

K氏は友達のバイクの後ろに乗って事故に遭い頚髄損傷となり、手脚に障害があり現在リハビリの治療中で毎食後はベッドで美味そうにタバコを吸っている(約40年前の話です、笑)。この病室で最長入院患者である。
S氏は左官屋さんで永年、頚椎滑り症で苦しんで、体をだましだましで、なんとかやり繰りしながら仕事をしていたが、ついに歩けない程の症状が出て救急車でこの病院に運ばれ、即入院、手術を受けたとのこと。
首の後から金属で固定する手術を受け、暫くはベッドに寝たきり、麻痺は軽減するも日常生活を送るには少し難があるとのことから入院も長引いてる患者である。K氏に次ぐ次席入院患者である。
この二人がまさに医者まがいの会話をするのであるが新しい患者が入院してくると、病名や症状を聞くなり、原因や治療方法など話しまくる。時にはコミカルな話をしたりして病室で笑いが起こることもあった。

そんな病室の雰囲気の中、18歳のY君が入院してきた。Y君のベッドはK氏の隣であった。
Y君が入院してきたその日の夜、いつも通り21時に消灯され、ようやくウトウトし始めた頃、深夜、Y君が奇声を上げ病室内はざわついた。私は目覚め、他の患者全員も叩き起こされた。

その声は隣のナースステーション迄届いたのか、誰かがナースボタンで知らせたのか?看護師さんが駆けつけ、数分後には当直医が何やら処置をしていた。

翌朝、K氏が「Y君大丈夫?何かうなされてたよ」と友達みたいに話しかけていた。

私や他の患者も聞き耳を立てて二人の会話を聞いていた。

Y君は、「すみません」といって
K氏は続けて「どうして入院してるの?」と尋ねた。
Y君は「ビルの3階から飛び降りて骨盤骨折と両かかとが潰れていて・・・」
K氏は「その潰れ方だと2~3ヶ月入院するようだね」と、また医者まがいの話しをしている。

Y君は黙っていた。

間髪入れずにK氏が「なんで飛び降りたの?」と尋ねていたが、私含め他の患者も「そこは聞いちゃダメでしょう」と想っていた。

だが恐らくここにいる患者は皆、その先を聞きたくて、妙に静まりかえっていたのを覚えている。

するとY君は「よく覚えていないんだけど・・・なんか嫌になっちゃって・・・」
K氏が続けて「そうだよね。嫌になることあるよね。オレも死にたいよ」みたいなことを話していた。
そんなストレートに話して大丈夫か?

私は、そんな二人の会話を聞きながら、怪我した直後は訳も分からず独りで絶望と心細さと葛藤しながら、ただ死にたいと切望していた事、自死することも出来ず、毎日が地獄の日々を送っていたことなど、思い出していた。
しかし、やがて時間の経過とともに、指が動きはじめ拳が握れるようになってから淡い期待がこみ上げるようになり、死から活きるという思考に変わってきていた。
これからどれほど入院してるのかは分からないが、入院している間は、やれることはやろう、と死を考えるより活きることを想い、毎日両手両足のグーパーを繰り返し、額に汗しながら、自分の躰に奇跡が起こることを願うしかなかった。これしか。



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