オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

人間らしさ・・・とは?

手術から3ヶ月過ぎた頃、担当医のF氏が例の如くポータブルレントゲンを連れて回診に来た。1回/週のレントゲンである。
何時ものように首のレントゲンを撮り少しばかり会話をした。
怪我してからの躰に感じる痛み痺れは手術後、時間と共に軽減された部位や、変わらず継続している部位があることを伝えた。また日により痛み痺れの強さやヒリヒリ、チクチク、ズキズキといった感じ方が変動することも伝えた。

変化していることは他にもあった。
毎朝、看護師さんに清拭をしてもらうが顔から首筋にかけての感覚は怪我する前と変わないが、最近は乳首あたりまで、触られたり、清拭のタオルの暖かさを感じることを伝えた。

するとF氏がボールペンで額、頬、顎、首筋、鎖骨あたりから、乳首あたりまでをツンツンさせて感じ方を確認した。
感じる感じないの境にマジックで皮膚に線を引いて日付も書いていた。

それから2~3日感覚で同じ確認をしていった。

日を増すごとに、マジックの線は下腹部の方へ下がっていった。
ただツンツンされていることは感じるが、痛みや清拭のタオルの暖かさは、まばらで感じるところと感じないところが混在していた。

この頃から痛覚、温度覚、触覚、位置覚それぞれの神経があることを知った。

この頃には腹筋あたりを自分の意思で力を入れたり、抜いたりすることが出来るようになっていた。

私は回復してるのではないかと、密かに思っていたがF氏には何も言わなかった。

S助教授とF氏が昼前に回診に来て、移植した骨の状態が良好ということでベッドをもっと起こすと言われ、30度から80度位まで上げた。特に貧血もなく大丈夫であることを伝えた。

また視界が拡がり病室の隅々まで見回せ、患者の顔もちゃんと見ることが出来た。
患者からは、私の顔をこの状態で見るのは初めてなので、私を見て、正面のS氏が「いい男」ですねとオベンチャラ(お世辞)を言われたりもした。
他の患者も微笑んでいた。

その日の昼食はこの状態で看護師さんから介助してもらいながら食事をしたが、食事に限りコルセットの前側を外すことが許され、気分的に昼食が美味かった。
看護師さんも介助し易くなったと言っていた。

それから一週間後ぐらいの食事の時、コルセットが外され、両手のグーパーをしながら、胸筋がすっかりなくなり骸骨のような胸を見たとき、生きるミイラだと思った。
感覚の拡がりを記した地図にある等高線のような波線が、徐々にさがっていた。
この頃から両手首と両腕の曲げ伸ばしや内転外転をを負荷をかけない状態でゆっくり出来るようになっていた。
自分の意思で腕や手首、指を少しばかりであるが動かせるようになり、人間らしさを少し取り戻した感じであった。


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