オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

やっぱりダメなのか?

手術して2ヶ月後位の回診でレントゲン写真を見ながらS助教授とF氏が何やら話していた。
そこで告げられたのが、コルセット装着しベッドを30度位まで起こして良いとのこと。

回診後、直ぐに私は病室のヘルパーさんに頼んでベッドを起こしてもらったが、少し貧血を起こし気持ち悪くなったので直ぐベッドを寝かせてもらった。

暫くしてから看護師さんがベッドを起こしにきた。
また貧血するのではないかと思ったが、看護師さんがクランクをゆっくり回しながら「大丈夫ですか」と声をかけて時間をかけて起こしてくれた。

今度は大丈夫であった。
さっきヘルパーさんに起こしてもらったときの速さとは全然違っていた。
さっきは急いで起こしすぎたのだ。でもさっきのことは何も無かったかのように黙っていた。

30度位起きたベッドから改めて病室を眺めた。
私に装着されたコルセットのお腹辺り迄見ることが出来た。
視界が拡がることで、また感慨深い思いにさせられた。

両腕と両脚が見える。筋肉は殆ど無くなっていて、皮膚はカサカサに乾燥し、角質なのか、垢なのか白い粉もふいていた。まるで乾き切った倒木ように見え、その横からバルーンカテーテルの管が留置され採尿袋が相変わらずベッド横に吊されている。

ベッドを起こせるようになってから数日後にF氏と看護師さんが何やらビーカーや連結管みたいな機器を持って現れた。
私のベッドの周りを囲うようにカーテンが閉じられ「こらから膀胱内圧の計測をします」とのこと。

計測機器はビーカーからチューブが出ていて、尿道口からカテーテルと呼ばれる細い管を挿入し生理食塩水を膀胱に注入し膀胱内圧を計測していた。

頚損で手脚が動かないのだから、いろいろな内臓機能も低下しているのであろう。
膀胱に生理食塩水が入る感覚も無かった。

計測は終わったが、F氏からの説明は無く、また新たなバルーンカテーテルが留置された。

カーテンが開けられ、F氏に再度、この前よりも左右の拳を握ることが出来るようになったことを話すが、またしても「ここまでです。これ以上の回復は前例がありません」と返され、かなりへこんだ。

ムッカーつく。頭にきた。

もう聞くのはやめよう。

何度聞いても「ここまでです。」

本当にそうなのか?

やっぱりダメなのか?

それでもめげずに、小指が動き親指、中指、薬指と動かせる事が現状から抜け出せる道と自分を鼓舞しながら・・・
私は左手を握って拳を作った。
次に右手を握って拳を作った。
拳といってもキチンとした拳では無く、握力0kgの拳であったが・・・

それを何度も何度も何度も繰り返しやっていた。

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