オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

バルーンカテーテルとおさらば

両足の親指が僅かに動きはじめて、私はベッドの上で両腕、両脚、腹筋を順番に動かし、自分なりのリハビリメニューをこなしていた。

ベッドを80度くらい起こした状態で両腕の曲げ伸ばしは水平方向で出来るようになった。
左腕は上下方向でも出来たが右腕は出来なかった。
右腕はもっとやらねばと思うがかなりしんどかった。

両足のグーパーは意識してグー、意識してパーといった具合で、構えないと出来なかった。
出来るといっても親指と人差し指が僅かに動く程度でチョキなどは憧れだった。

両手のグーパーはそこまで意識しなくても、好きなときにグーパーが出来るようになった。但し握力は以前とさほど変わらなかった。

痛覚、触覚、温度覚、位置覚については、まばらでボールペンの先で突くと痛みは感じるが清拭の暖かいタオルの温度は感じないとか、触っている感覚は判るが、なにで触っているか、筆なのか、ボールペンなのか、指なのか、が判らない。

何も感じないところもあった。

曖昧だが、首から下の70%位は感じることが出来ていた。
感じる範囲や感じ方は、例えば右脚太腿部の内側は触覚はあるが温度覚が鈍い、外側は温度覚はあるが触覚がないという具合であった。
また、触覚はあるといっても顔を触った感度に比べると鈍かった。

位置覚は両脚で特に改善がみられ始めていた。
曲げていることは判ったがどれほど曲げているのかは、よくわからなかった。

とにかく躰全体がいろいろな感覚で覆われ統一性がなく、不思議な感覚であった。

この感覚で助かった事もあった。注射である。
何も感じないところに打ってもらっていたので、注射は苦にならなかった。
看護師さんも馴れたもんで、何も言わなくても、そこに打ってくれた。

ただ全身に感じるズキズキ、ビリビリ、ヒリヒリの痛み痺れは相変わらず続いていた。

そんな状況の時、F氏の回診で「バルーンカテーテルを取り外してみますか」といわれ、怪我して以来、自力で用を足す事を試みることになったが、尿意とかが判るのか不安であった。

大便は2~3日おきに看護師さんが摘便してくれていたが、便意を感じたことはほとんどなかった。
お腹が張る感じはこの頃から判るようになってきていたが、自力で力んで排便するまでには至らなかった。
怪我する前の、便意を感じスッキリしたあの時の快感を早く得たいと願っていた。

看護師さんが尿瓶を持って現れた。
私のベッドを30度くらい起こし、カーテンを閉め個室状態の空間で看護師さんがT字帯を取り、F氏がバルーンカテーテルを抜き「尿意はありますか?」と尋ねられたが、私は「判りません」と答えた。すると看護師さんが局部を尿瓶に入れ砂嚢でズレないようにセットしF氏は暫く尿瓶を見ていたが、尿が出る気配はなく毛布を掛けられた。

看護師さんが「1時間ほどして又来ますね」といって2人は私のベッドから離れた。

私は、同年代の看護師さんにこの処置をやってもらうことに屈辱感と申し訳ない気持ちで、これまでのバルーンカテーテルで良いんじゃないかと思った。

個室状態の中、私はいつの間にか寝ていた。
暫くして先ほどの看護師さんが来て「どうですか?出ましたか?」と聞かれ私は「まだです、多分」と答えながら、看護師さんは毛布をめくり。「出てないみたいですね」といって、「又来ますね」と言いながら出ていった。

カーテンをヘルバーさんに開けてもらい、隣のK氏から「お帰り」と言われ私は「ただいま」と返事をしながら、ヘルパーさんに水を飲ませてもらった。

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