オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

転院先の入院生活はじまる

転院する朝、6時30分頃にいつも通りの検温や清拭が始まり、看護師さんが私の脈をとり「今日で退院ですね」「色々お世話になりました」と会話を交わし最後の検温を終えた。

朝食を済ませお世話になったベットを整え、あらためてベッドに横たわり17ヶ月の時間を巻き戻して感慨に耽っていた。

これまでお世話になった医者や看護師さんや理学療法士の方々、ヘルパーさんに挨拶を済ませていたが、改めて思ったのは日本医科大学病院の方々に保護された場所から外へ出るのは少し不安、ということだった。

慣れ親しんだ病院を離れ他の病院に転院するのは、大袈裟だが異国の地に行くのと同じ感覚であったのである。

どんな入院生活になるのか、復職まで残り2ヶ月しかない・・・など思っているところに上司が迎えに来た。

上司に挨拶とお礼を言い2人でナースステーションに向かい最後の挨拶をした。

その後、長い廊下を歩き病院の建物を出て駐車場に向かって歩きはじめたが途中、健常者の上司の歩行速度が速く私は立ち止まり、その瞬間これが社会の営みの速さだと実感したのだった。

立ち止まった私に気づき申し訳なさそうに近寄ってくる上司にジェスチャーで立ち留まらせ、私から歩み寄っていった。

ブカブカのズボンとジャケット姿は不格好であったが、この時の自分は外見よりも、杖を突いて歩く速度は社会復帰出来るのかという不安が込み上げていったのだった。
それと歩く速さに付いていけなかった自分が惨めでもあった。

駐車場に着き私はゆっくりと助手席に乗り込んだ。
ゆっくりと走り出した車窓から見る街の風景は、海外から久しぶりに日本に戻ってきた感覚と似ていたのであった。

車中で上司がリハビリ専門病院の入院生活やリハビリの概要を話してくれたが、イメージしていた通りのレベルであった。

1時間ほどで転院先の病院に到着した。
病院は高円寺にあった。

土地勘も無く、ひとまず事務手続きをし、個室病棟の3階302号室に入った。

程なくしてから、院長先生と看護師さん、リハビリ担当T氏が挨拶に訪れたのであった。
 

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