オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

変化点

あれから毎日、自分の意思で動かせる両手はグーとパーを繰り返し、まだ動いてはいない両足の指を同じくグーとパーするように懸命に力みながらやっていた。
拳を握るだけでもかなり疲れる。息が上がる。
額が汗ばむ、息が整うまでベッドにもたれながら、窓の外界をボーッと見ていた。

流れる雲を見ながら、
こんな人生になるとは・・・
怪我した直後は、動かない躰ならいっその事、死にたいと願っていたなぁ・・・
そんなことが頭の中を巡っていた。

事故直後の時期には、死んでしまいたいなんてことを思っていたが、自死を想い描くと学生の頃、自殺した知人のことを思い出した。

そこまで親しい間柄ではなかったが、笑顔で話をする姿を見たり、何度か、たわいもない話をする程度だった。
それから久しく会わない間に、彼は「うつ病」と診断され、親や家族はそっと見守っていたが、ガレージで首を吊り自殺したそうだ。
「衝動的な自殺だった」と通夜の時に聞いた。
動揺した。その時「うつ病」は怖い病と知った。

あの彼が「うつ病」になった原因までは知らないが、余程のショックな事が有ったのだろう。と推察した。

私の怪我した姿を見た人は、みな不憫だと思ったに違いない。驚くことに頚損患者のK氏にもそう思われていたし、当の私も不憫だと思っていた。
時々、気分もふさぎ込み見舞客を煩わしく思っていたこともある。・・・

ただし前方固定の手術するまでは・・・だ。

コルセットになってから、躰からボルトやリングが取り除かれ躰に何も付いていない素の状態に戻りつつあることで、ストレスが減ってきたように思えた。
また指が動き始め、拳が握れるようになってきたことで躰が徐々に修復しているのではないかと思え、時間の経過と共に動く範囲がもっと拡がるのではないかと、素人考えで淡い期待をしていた。

怪我した直後はショック状態で死にたいと願っていたが、友人のうつの心理状態に比べれば、私の心理状態は、極めて健全で活きる事への執着丸出しの状態となっていた。
 
活きる執念は他者よりも強いのか、自死は、できない。なにひとつ実行出来ない。
肉体的にも思考的にも。

活きる執念みたいなエネルギーが湧いていた。

またDr.ノウィッキーが「最終的には松葉杖を使い自立歩行が出来る」と言っていた言葉が一番の支えだった。

それにしても、日本の医者はそんなことは言ってくれない。
器用だがヤブなのか、先のことは軽々とは言わない。
「前例がない」「ここまでです」ばっかりだ。・・・


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