頚髄損傷患者の将来展望
高円寺の病院に入院し1ヶ月経つか経たないくらいの時に、私と同じ頚髄損傷で入院している患者さんがひとりいることをリハビリ担当のT氏が教えてくれたが、私は他の患者さんと挨拶は交わすが、入院した事情等は詮索せず、淡々と自分のリハビリに精を出していたので、他の患者さんの事情には疎かった。
彼は病室でリハビリを受けていたのでリハビリ室で会うことも無く彼の存在を知るよしもなかったのである。
そんな彼が、T氏を通して私と話がしたいと言っているらしく、私はその日の夜に彼の病室を訪ねたのであった。
病室に入り、まず視界に入ったのが、壁に貼ってあるピカソ風に模した顔の絵だった。
互いに自己紹介をしベッド横に腰掛けると、彼は堰を切ったように話しかけてきたのであった。
マシンガントークで、誰かと話がしたくてたまらないような感じがヒシヒシと伝わってきたのである。
私は圧倒され、無言で彼の話を聴くしかなかった。羽交い締めにされた感じであった。
彼は受傷後から入院治療の経過等々を鬱憤を晴らすように話したのである。
私より3歳年上で半年前に転院してきたが、私と同じでコレと言った治療はしておらず、四肢麻痺で褥瘡(床ずれ)防止で躰の向きを変えるとか、リハビリにいたってはベッド上で関節を屈伸させる程度で、食事はベッドを起こし介助してもらいながら食べている等、1日の大半をベッドで過ごしているのであった。
彼には、怪我する前からフィアンセがいるらしく、日本最高学府を卒業し、勤めはじめ順風満帆の中、フィアンセと旅行中に起きた事故であったと話してくれた。事故の様子は話さなかったので、私も聞かなかったがフィアンセ含め大きく人生が変わってしまったことに同情したのであった。
今でも時々見舞いにくると言っていた。
彼は将来展望について語っていたが、そこにはフィアンセは含まれていないとも言っていたのである。
私は重い空気を変えたくて、話題を壁に掛けてある顔の絵に触れたのであった。
彼曰く自画像でリハビリの一環で描いたそうで、それ以上会話は進まなかったのである。
部屋を訪ねてから2時間ほど話したところで、消灯時間となり、挨拶を交わし自室に戻ったのであった。
私は自室でボーッとしていても、彼が話した将来展望がリピートされ、何かを払拭するように歯を磨いたのであった。
寝る態勢に入ったが寝付きが悪かったのだった。