オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

彼とフィアンセの葛藤

隣部屋の頚髄損傷の患者さんの部屋を出て、自室に戻ってもまだ彼の余韻が残っていたのであった。

治癒する怪我ならともかく、頚髄損傷は残酷で絶望しかなく、恐らく隣の彼は頚髄損傷の私が自立歩行している事を聞き、1分の希望を抱き絶望の中から抜け出したかったんだろうと、そんなことを考えながらベッドに潜り込み、その日を強制的に終わらせたかったのである。

しかし睡眠が浅く夜中に何度も目が覚めたのであった。

やがて朝が来て何時もと同じルーティンから午前中のリハビリをこなし、昼食を摂っているとノックする音がしたのでドアを開けると見知らぬ女性が立っていたのであった。
私が「どちら様でしょうか」と尋ねる前に、隣の彼のフィアンセではと直感し、「隣の〇〇の付き添いの者です、昨日はお話しさせて頂きありがとうございました。」と言いながらがリンゴの皮をむき、食べやすい大きさに切られた皿を手渡してくれたのであった。

私も「こちらこそありがとうございました。」と気の利いた言葉を返せずそのお皿を受け取り、暫く話をさせてもらったのであった。

フィアンセの方は彼と同い年で大学卒業後、お付き合いをされ2人でバス旅行をされている時、眺望出来る駐車場で、崖プチに立って写真を撮って居たところにバスが後退し、運転手も彼もそれに気づかず彼は押し出され崖下へ転落、幸い高さは余りなかったが、転落後救助され病院に搬送されたが、頚髄損傷と診断されたのが10ヶ月前だったと話をされたのであった。

彼は、なぜかその話をしなかったので・・・
改めて怪我した経緯を知ったのであった。

フィアンセの方から現在も裁判で係争中であることも話してくれたのであった。

これからの彼の苦悩を思うとフィアンセの方も同じように葛藤されているようであった・・・

私は視線を下向きに、彼の事故の様子を頭に浮かべていると「ごめんなさい、長話しちゃって」「とんでもありません。またお話しさせて下さい」と言いながら、フィアンセの方は部屋に戻って行ったのである。

私はドアを閉め、途中だった昼食を済ませたのであった。
14時から街中に繰り出す準備を終え、ベッドに腰掛け、改めて彼とフィアンセの心境を思い図っていたのであった。


f:id:kemosaku:20190807104633j:plain