オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

頚髄損傷患者と看護実習生

入院から17ヶ月が過ぎ、同室の患者さんは2~3ヶ月置きに入退院で入れ替わるため、私にはそこまで親しく話をする患者さんはいなかった。
あえて、そうしていたのである。

挨拶はすれども一過性の患者さんと世間話に時間を裂くよりは、間近に迫った転院で寸暇を惜しみ、病室の前の長い廊下を歩行器と松葉杖で交互に往復する自主トレをスケジュール通りにこなしていく時間の方が有意義と思っていたからだ。

この頃の私は整形外科の病棟で最長の入院患者としてだけでなく、看護師さん達の仲間内で「〇〇(私)さんは模範患者だよね」みたいな話をしていたと以前ヘルパーさんから聞いていたのであった。

そのせいもあってか新人の看護師さんや看護実習の生徒さんなどが配属になると、わざわざ紹介しにくる程になっていたのである。

更に整形外科の看護実習の生徒さんの実習先患者は、決まって私に白羽の矢が立てられるのであった。
看護主任のMさんから、事前に実習受入の依頼がきていたので、お世話になっている病院なので断る理由もなく、微力ながら引き受けていたが実習生は1人で大体4週間位の平日9時から17時まで私の傍で身の回りの世話をしていただいたのであった。

最初に受け入れたときは、どう接すればいいのか要領が掴めず閉口しがちであった。

次に来た実習生から日常の世話や看護体験などから得た内容をレポートするのが日課であると聞いたので17ヶ月前に怪我してから現況に至る経過を話したり、頚損という怪我をしてからの心理状態や葛藤などの心境を具体的にどういうものなのかを話したりしたのだった。

また、日常動作で支障があるところは、こちらからお願いして手助けしてもらったり、実習生とのQ&Aやリハビリにも同行してもらっていた。

極めつけは、長い入院患者の所感として「医術は人なり」というような書籍の内容や私なりの持論で話をしていたのである。

医療従事者はいかなる時も事務的対応でなく、親身な振る舞いが適切にできる事で患者の精神状態は安定するし、イライラやストレスから開放され病気や怪我にどう向き合うか冷静に思考出来るので・・・
「慕われる看護師さんを目指してくださいね」なんてことを偉そうに話をしていたのであった。

誰しもそうであるように、お互い初対面でも、1日8時間も傍にいると、初めのよそよそしさはどこへやら、2週目に入る頃には実習生が友人みたいにプライベートな話をするようになるのだった。

特に同年代の実習生からは恋愛などの相談事もされるのであったが、苦手なので人間関係のフィロソフィー(哲学)的な話にすり替えて対応するのであった。

実習生の最終日には必ず看護主任のMさんが実習生を伴ってお礼の挨拶をされるのだった。

実習生から「〇〇(私)さんから患者さんの心境や精神状態など具体的に教えてもらい看護師のあるべき姿を体感出来ました」との事や、看護主任のMさん曰く「医術は人なり」が看護の真(心)髄にあたるらしく、実習生のレポートからもそれらを紐解いてあったことで看護実習の目的に値すると評価されていたのである。

「また、次もお願いしますね」とすかさず依頼されるのであった。が次はもう受けられないとは即答できずにいたのであった。

こうやって私に白羽の矢が立つのは、普段の看護師さん達との接し方や看護主任や実習生の受けが良いからと、うぬぼれて自画自賛していたのであった。





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