オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

整形外科医は手先が器用なのか?

気づくと見慣れた天井の病室のベットに仰向けに寝かされていた。
新たに装着したハローベストは、頭のリングと腰のリングが支柱で固定されているので上半身が宙に浮いている。
しかし、仰向けに寝ていると、みぞおちあたりが自重で下がり背中が猫背みたいに撓み、その姿勢が辛くて辛くてベットを少し起こしてもらった。

自重がお尻の方に移り姿勢は少し楽になった。

すると少し視野が開けて、初めて病室の全貌を知る事が出来た。
私は6人部屋の入り口角にいた。
手術前は部屋の片側真ん中にベッドがあったが、手術後後は看護師さん達が出入りしやすい角に移したそうだ。(後日談)
そのため私からは忙しそうに廊下を往来する人々がよく見えた。
また往来する人々からの視線も沢山感じ、私を二度見する患者もいた。

正面のベットはカーテンが閉められて中は見えず、隣のベットは空いていたが、患者はいるらしくシーツは少し乱れていた。

更に奥に目をやると皆仰向けに寝ていて、点滴やら電子モニターなどいろいろな機器が見えた。

その奥の窓からは都会の高層ビル群と、隣接するビルも見えた。
以前、褥瘡が出来たために躰を反転していた時に見えていた景色よりも視点が高くなり、見える範囲が広がり公園の木々も見えた。
今の私には、こんな些細な事ですら生きているという実感と現実の絶望が混在していた。

私の上には布団がかけられて、気づくと排尿のためのバルーンカテーテルが留置されていて、その管がベット横に吊り下げられた袋に伸びていた。今までもカテーテルは留置されていたのだろうが、見るのは初めてであった。

点滴が吊されているが、どこに針を刺しているのか分からなかった。
そして、この麻痺した躰にリングやボルトが刺さり固定されているのを見ると改めて絶望しかなかった。眼汁が流れた。

暫くしてF氏が様子を観に来た。

今後の経過観察のスケジュールを教えてくれた。

また、今回装着したハローベストは日本で一般的に使われる物で、異国から借りてきたハローベストはF氏は初めて見たと話していた。
近日中に返却するという事らしい。
随分と返却が遅くなり、Dr,ノウイッキーも困り果てたのではないかと、ご迷惑をおかけしました。と、いう気持ちにさせられた。

今後は日本式のハローベストで再度、骨が固まるか1~2ヶ月様子をみながら、ダメな場合は骨盤の骨の一部を腸骨から切り出し、首の4~6番の骨にほぞ溝を作り、切り出した骨をはめ込んで固める手術をするらしい。
前方固定と、言うらしい。

私はこのまま骨が固まるのを祈った。
固まらない場合の手術は正直受けたくなかった。
ほぞ溝に切り出した骨を上手くはめ込むためには、建具職人みたいな手先の器用さと精度が大事らしい。
F氏はどうなのか不安であった。
しかし聞けなかった。

しかもこの手術はあくまでも骨を固定するもので、麻痺した機能を回復させるものではないことを念押しされた。

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