オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

前方固定手術の告知

日本式のハローベストを装着してから約2ヶ月。
7~8枚のレントゲンを撮ってきたが思うように骨が固まっていないらしい。

その日の回診時でも、特に話をするでもなく、ただ横たわる私をチラ見しながらF氏とS助教授が数枚のレントゲン写真を診ながら、固定しようと言う言葉が聞こえてきた。

回診が終わり、暫くするとF氏が来てレントゲン写真を見せながら、骨の結合が遅いので再来週前方固定の手術をすると言ってきた。

手術の概要は・・・
骨折した首の骨のところに、自分の腰の骨の一部を切り出し、あてがい補強、固定させる手術である。

まず首の左前側を縦に20cmくらい切開し食道、気管などを避けながら首の骨4~6番にかけて幅2cm程のほぞ溝を作る。

次に腰の腸骨の一部(腰骨の一番出っ張った辺り)を切り出す。
切り出した骨は、4~6番のほぞ溝に合うように幅2cm長さ6cm程の板状に削り4~6番のほぞ溝にはめ込み一体化させる。

手術後は、ハローベストからコルセットに変え、はめ込んだ骨がズレないようにするため、固まるまで常にコルセットを装着することになる。
コルセットは私の下顎から腰骨辺りまでの型を取り樹脂で作るらしい。

コルセットは専門業社が作製するそうで、明後日から準備に入ると言っていた。

術後の経過を診ながら、コルセットを装着したまま、徐々にリハビリをはじめる。とも言っていた。

F氏は淡々と話をしていたが、私は手術を想像しながら、どこか上の空で聞いていた。

説明が終わり、今日も暮れていく遠いビル群をボーッと観ていた。

この時の心境は、どうせリスクの高い手術が成功しても手足は動かない。一生動かないのに首から下の痛みや痺れは消えやしない。
骨は骨癒合するのに頚髄損傷で麻痺した躰は回復しない。もう怪我する前のような、働いて給与貰ってひとり暮らしが出来るわけではない。
行きたい場所に好きなとき行けない。
怪我する前に出来ていた当たり前のことが出来ない・・・健常者に戻れない。
ならばいっそのこと手術が失敗し、帰らぬ人となり得ること、F氏やS助教授には悪いが、どうか不器用であることを願うばかりだった。

手術の告知の翌日も、その次の日も、同じ事ばかり考え、益々無表情となっていた。

手術告知の3日後位にコルセットの型取りが行われ、顎から首、胴体の恥骨辺りまで石膏を含んだ包帯が巻かれた。
固まるとあのサンダーみたいな切断機で両サイドをカットし型取りは終わった。

後は手術を待つだけだった。



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