オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

暗闇からの悲しい目覚め

手術の日の朝、看護師さん達がストレッチャーを押しながら私のベッドに横付けした。
挨拶され手術室に運ばれた。

また全身の体毛が剃られた。
頭の先から足の先まで、眉毛までも、間抜けな顔なんだろうなと思ったが2度目の辱めと思っていると点滴やら注射やら打たれ暫く放置されていた。
やがて鼻と口にマスクを被せられ、それ以降は記憶がない。

〇〇さん〇〇さんと、暗闇の遠いところから私の名前を呼んでいる。・・・

また呼んでいる。徐々にその声が大きくなって、その煩わしさから瞼を開けると誰かが見えてきた。

F氏の顔であった。まだ私の名前を呼んでいる。

朦朧とした中で、手術が終わり病室に戻ってきたことを理解した。

手術は7時間要したそうで、計画通り出来ましたよ。と話してくれた。・・・
それを聞くと、いつの間にか眠りに入り込んでいったようだ。・・・

何か周りが騒がしく自然と目が覚めた。
瞼を開ける前から、現実に引き戻され、病室にいることを認識していた。

喉が痛い。唾液を飲み込むのに扁桃腺辺りから喉仏辺りまでが痛かった。

日本式のハローベストが外され、コルセットに包まれてベッドの頭のほうが少しあげられ、仰向けに寝かされていた。

黄色い点滴袋がぶら下がっているのが見える。
相変わらず手足の感覚がなく、激痛や痺れは以前と同じ感覚であった。

改めて生きているのか・・・死ねなかったのか・・・と思った。
かなり残念で複雑な気持ちであった。

暫くしてからF氏がきてくれた。
いろいろ躰に異変がないか聞いてたが、頭が割れそうに痛かったのと、喉が痛いことや頚損の痛みや痺れは変わらないことなどを伝えた。
それを聞くと、F氏は部屋を出て行った。

私には受け答えは正直どうでも良いことだった。

暫く目を閉じ、次に目を開けると病室の窓のカーテンが閉められ夜になっていた。

やたら天井の蛍光灯の明かりが眩しかったのを覚えている。

眩しいから・・・悲しいからか・・・

眼汁がでていた。


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