オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

手術後の朝

手術の翌日は検温で目が覚めた。
看護師さんが脈をとり血圧計の水銀柱を診て排尿袋や点滴など確認してカルテに書き込んでいた。 
その後、少し会話してまた目を閉じた。
 
暫くしてから違う看護師さんが蒸しタオルを患者に配っていた。
頚髄損傷の患者には、顔と手のひら、指を念入りに拭いてくれた。私もそうであった。

この検温から清拭までが毎朝のルーティンであった。

朝8時頃、食事が運ばれ患者の殆どが無言で食べている。箸やスプーンが食器に当たりカチッカチッという音が少し煩わしかった。 

躰が動かない私は、食事はいつも看護師さんに食べさせて貰っていたので、当たり前に出来ている人たちの仕草に、何で自分は出来ないのか?
怒りや虚しさなど色んな感情がこみ上げていた。

今朝の食事も看護師さんが重湯をスプーンで掬い、慎重に私の口元にあてがったが、口を開けられない。

ハローベストからコルセットに替わり、下顎から腰骨辺りまで、一体化されたコルセットでは、口が開けられない。

看護師さんも思わず「アレッ」と言って、コルセットを見ていたが、「少し待ってて」と言葉を残し、どこかに行った。

暫くしてF氏と看護師さんが現れ、F氏がコルセットを少しずつ緩めては口を開き、何度か繰り返して、何とか食べられる状態になった。

すっかり食事は冷めていた。
重湯とジュースだけ少し食べて、コルセットは元のように絞められた。

またひとつ、不自由なことが加わった。


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