オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

「〇〇につけるクスリはない」

復職して早いもので2年が過ぎていたのであった。

この2年を振り返るとただ我武者羅に何かを取り戻そうと、リハビリ訓練や手描き図面や新たな仕事(CAD関連)を計画的に且つ効率的に取り組み、それなりの実績を残こし上司からも評価されていたのであった。

躰に障害が残ったもののサラリーマン生活を満喫出来たのであった。

この頃のリハビリ訓練は通勤時の電車と歩行が主であった。

通勤電車は乗客が少ない6時半の電車に乗り、最寄り駅から3駅で会社に着くが座らず立位で、電車の揺れを体幹や両脚でバランスをとる事を目的にリハビリ訓練をしていたのであった。

もうひとつのリハビリ訓練は駅から住宅街を抜けて会社に向かう道程も往来する人も少なく庭先や玄関先に置かれた花々を楽しみながら、散歩気分でなるべく杖を突かずに歩いていたのであった。

体調が穏やかな日は、のどかに通勤でき、まっこと爽やかであった。

しかし、そうでない日も、この頃から増えていったのであった。

毎金曜日の会社帰りに同僚と大衆酒場へ繰り出し、2軒目はスナックで飲むのが習慣化し、翌日は休みなので羽目を外してもさほど問題はなかったのである。

しかし、平日の打合せで遠路はるばる地方から来られた方がいると、おもてなしの接待ではないがこちら持ちで飲み会をセットするのであった。

飲み始めは、平日だから自制心を効かせないとマズイと思っていても、その場の雰囲気でついつい金曜日と変わらぬ勢いで呑んでしまう事も・・・

日本酒の熱燗が出てくると、美味いだけにお酌をされるがままに、あっ~あ~自我崩壊の始まりである。

飲み会が終わり酔った躰で歩いて帰りたくなく、タクシーで寮に帰宅するのであった。

そんな翌朝は、決まって、呑みすぎたことを後悔するのであった。 

重く感じる躰で、通勤路を休み休み歩くのであった。

それでも、週末になると同僚達と夜の繁華街へと繰り出すのであった。

まっこと「〇〇につけるクスリはない」状態であった。

どうしようもない。馬鹿チンであった。

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