労働組合と私と・・・
復職して2~3年が過ぎたころは、障害が残る躰で、将来設計をどうしたものかと考えても自分に都合良くいくわけも無く、流され、刹那的に活きた時期でもあったのである。
私が務める会社には労働組合があったのである。
1部上場企業には、大概存在していたものであった。
労働組合の活動は同業他社との給与・一時金(賞与)水準の格差是正やベースアップの要求に加え福利厚生などの改訂、改善を管理職を除く従業員から意見を募り企業に要求、交渉するのが労働組合の主な活動内容であった。
毎年、春と秋の時期に会社~組合の交渉イベントがあったのである。
春の取り組みは賃金や一時金などの関連で、秋の取り組みは福利厚生関連であった。
企業と組合の役割を車に例えると前輪が企業で後輪が組合と言うように共に協業しながら、会社ビジョンを達成し従業員の生活向上を実現する事にあったのである。
ストライキなど無縁であったのである。
また、この頃は労働組合役員経験者が管理職への登竜門とも言われた時代でもあったのである。
労働組合の構成は専従といわれる常任委員と非専従の執行委員、職場委員長、副職場委員長、職場委員の構成からなり選出は職場委員以外は、いずれも年1回に行われる労働組合定期改選で行われるのであった。
定期改選の2ヶ月前に職場委員長から声を掛けられ職場委員を懇願され、障害が有る私に務まるだろうか、不安も有ったが考えた挙げ句に引き受けることにしたのであった。
職場委員の主な組合活動は、組合チラシの配布や交渉途中の組合員との職場討議のファシリテーター(議事進行役)をやり、組合員の声を取り纏めた反響を職場委員長に報告するのであった。
勿論時間外活動であったのである。
この組合活動が、後の私の人生を・・・!である。