オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

残り2週間の入院スケジュール記す

復職診断に備え、設計図を描くのに支障がないことが復職の条件であることから、面会時間終了後の面会室で製図の基礎となる線種を思い通りに描く訓練を手作りの装具を付けてやっていたのであった。

その姿を看護師さん達に見られ励ましを受けていたが、「頑張ってるね」と思われるのが凄く嫌だったのである。

この感覚は幼少の頃からあったのであった。
私は智力や技術を高めるのは人が知らないところで自己研鑽し結果を出すのが私の中の「美学」であったのである。

A4サイズのトレーシングペーパー10枚ほどミッチリと全種類の線種を描き、何とか様になるところまでやり通したのであった。

2日後に上司が見舞いに来たので、ミッチリと書き込んだトレーシングペーパーを見てもらったのであった。
上司は微笑みながらその出来映えに凄く驚いていたのであった。

しかし、上司はトレーシングペーパーを見ながら、思わぬことを告げたのであった。

会社方針で数ヶ月後から、私が所属する設計開発部門は手描き設計図がCAD(Computer Aided Designの略でキャド)に切り替わることを知らされ、それも一般的なライセンス契約のCADではなく、自社とI〇Mの共同開発のCADシステムを構築するとのことであった。

CADは手作業だった設計や製図をコンピューターの助けを借りて行うもので、コンピューター関連は常に米国が先行し1960年代頃から米国の航空機メーカーなどが実務先行していたことは知っていたが、日本の企業の自社で遂に来たかー!と思ったのであった。

更に上司から私が仮に復職できたら、手作業の設計ではなく、CADを使い3次元設計のオペレーション修得やシステム開発に従事してもらう事を考えていると言われたのであった。

上司も私もCADの概念しか判っていなかったがコンピューターが織り成す業務形態の変貌を想像するだけで、鳥肌が立つのであった。

上司が戻り自室のベッドで横になり、トレーシングペーパーの訓練は、ひとたまりも無くぶっ飛んでしまったが、残り半月の入院と復職診断を思うと、不安と期待が混在し、興奮状態で一睡も出来ず朝を迎えたのであった。

爽やかとはいかないが、昨夜の興奮は続いていたのであった。

午前中のリハビリを終え、午後の街に繰り出す歩行訓練も終えた私は、入浴し躰を浄化したあと、まるで写経をする面持ちで、残り2週間の入院スケジュールを清書したのであった。

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