オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

頚髄損傷で帰国

成田空港から点滴などされたまま民間の救急車に乗せられ、日本医科大学の集中治療室に運び込まれた。

Dr.ノウィッキーと大学の教授、助教授、講師、医局員らが私のそばで話しはじめていた。

Dr.ノウィッキーは、この患者は最終的に松葉杖等を使い自立歩行が出来るようになる、と主張し日本の医師団は車イスまでの回復で自立歩行は前例がなく困難であると、見立てに相違があった。また感染症で長い生存が困難とも付け加えていたようでした。

患者のそばで話すなよ。馬鹿たれが~!

Dr.ノウィッキーは35歳後半くらいの容姿だからでしょうか?

日本の医師団で特に教授は 60歳手前の容姿で、威圧的に医者の経験値が豊富ですから~って言わんばかりに、なんか上から目線で話しているように見え嫌な感じ~で腹が立ったのを覚えている。

まさに白い巨塔の世界がそこにあった。

私はDr.ノウィッキーの見立てに人生を預けた。

翌日の朝、担当医F氏が挨拶に来た。話が穏やかで昨晩の威圧的な感じは微塵もなく人の良さそうな医局員だ。少し太って額に汗をかいて走り回ってる感じは好感が持てる。今はこの医者に人生を預けるしかなかった。

F氏が担当医に決まった翌日の朝に、Dr.ノウィッキーが面会に訪れ、最後の会話が「希望を持て」私は今日帰国するから・・・なんか急に心細くなった。

それから移送されて4~5日後に一般病棟に移された。

病室には私と同じ症状の患者が2人いるとF氏から聞いていた。

私はハローベストを装着しているので、仰向けの姿勢しか取れないので、天井を向いたまま相部屋の患者さんたちに挨拶した。 
F氏から今後の治療方針等が説明された。
首の骨が4~6番が潰れている。
特に5番の損傷が大きい。

そして、首の骨の損傷に伴い、頚髄も損傷を受けている、と。

 

頸髄損傷である。

 

手足の感覚や動かすことが出来ない状態でこのままハローベストを装着し骨が固まるのを待つしか無い。

2ヶ月位かかるだろう。との話。

私に装着されているハローベストは1週間位で還す約束では・・・

F氏は日本には、こんなコンパクトな装具はないので色々調べてから還す事でDr.ノウィッキーに了承して貰った。と・・・

私は手術とか出来ないのかと尋ねた。

F氏は続けて、骨を固定するための手術は出来るが、麻痺した神経を回復させる手術は出来ない。
今の医学では指先などの末端神経を繋ぐ手術は出来るが、頸椎はリスクがあり手術出来ない自然回復しかない。

現状では元の感覚には戻らない。

私には、かなりショッキングの内容であった。非情なまでの宣告だった。

F氏が去ったあと、眼汁がでた。

翌日、静寂な朝を迎えた。

遠くからかなり大勢の足音が聞こえてきた。院長総回診だったらしく、まさしく「白い巨塔」の感じで多くの取り巻きが病室に入ってきた。

その中にF氏もいた。カルテやレントゲン等小脇に抱え、やっぱり額に汗かいて何やら説明していた。

伊〇院長からこの私に話しかけられたが社交辞令みたいな話だったと思う。

何故か周りの取り巻きが少しざわついていた。

回診は終わり、また静寂な空気が流れた。

暫くしてからF氏が小走りに病室に入って来るなり、私に院長とお知り合いですか?・・・

直接ではないですが・・・

F氏は鳩が豆鉄砲食らったような顔をして院長総回診で患者さんに直接話しかけることなど、先ず無いので他の医局員たちも不思議がっていましたよ。・・・

それ以来、病院職員の対応が変わったように感じた。

何だかな~。権力者に群がる・・・

オヤジが嫌いな世界です。

 

 

 

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