オヤジの闘病回想記

ブログ「猫と杖とキャンピングカーと」に登場する1956年生まれのオヤジが約40年前に大怪我をし、躰の自由を奪われ人生観が激変、現在に至るまでの葛藤を綴った記録です。

入院見舞いの社交辞令

今日も暮れなずんでいく、都会の高層ビル群をこの窓から見ている。

自分の意思で動かすことが出来ないこの不自由な躰。頭のパーツだけが機能している。

あの時から時間が止まったまま。

この景色をぼーっと見ながら・・・
この先どうなるのか、全身麻痺状態で免疫力も無くやがて感染症で息絶えていくのか?

食事や下の世話は看護師さんに仕事とはいえ献身的にやっていただき、頭が下がる思いではあるが、この病院に入院している間は、なんとか生きていけるとしても、退院したら、とてもじゃないが自活など到底出来っこない。
※現在2019年は在宅福祉サービスや訪問介護医療など、認知、拡充されてきてますが、流石に当時の私(約40年前)の愚行者には社会の仕組みなど知るすべもなく、退院後の生活プランを描くことがでませんでした。

私以外の患者さんは、どうやって生きているのか、家族の支援や施設に入るとか?など漠然に想いふけっていた。

私は幼少の頃から、父親とそりが合わず成長とともに確執が生まれ18歳で家を出て、一人で自活してきた。今更、両親や家族に頼るという考えなど微塵も無かった。

私の人生はどうなっていくのか不安と絶望。

安楽死・・・自死・・・など思っていた。

生きながらの地獄のような毎日・・・
頚損の恐ろしさをあらためて思い知らされていた。

そんな心境でいるときに、たまに会社の方々が見舞いに来てくれるが、正直嫌であった。

自由に動ける健常者が社交辞令の励ましの言葉を放ち、どうせ他人事のように気の毒だねとか、大変だね、などと我が身でなくて良かったと心の中でそう思うのであろう。
病室を出た途端、私の将来に待ち構える不幸など、意識する事など無く世間話でもして帰るのであろう。と思っていた。

そんなひねくれた、健常者に対する嫉妬や良心の欠片も無い自分が嫌で、私は眼汁を流しこの想いがおさまるのを待つだけだった。


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